yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

新川劇団 『残菊物語』

少し時間の余裕ができたので、今DVDで観ているところです。




『残菊物語』は溝口健二の映画(1939年)で余りにも有名ですが、村松梢風原作で、戦後すぐに新派も演じています。なお、溝口映画では新派の大御所、花柳章太郎菊之助を演じています。





他劇団で『残菊物語』を観て、期待が大きかったせいでしょうか、脚本の稚拙さ、演出のあまりの軽さにがっかりしました。「悲劇」になっていなかった。それに比べると新川劇団版は、脚本、演出、そして何よりも主演役者が申し分のない質の高さです。芝居版のストーリーは以下です。





歌舞伎界の名門音羽家、五代目尾上菊五郎の息子の尾上菊之助(新川笑也)とその妻お徳(新川博也)の身分違いの悲恋を描いています。菊之助は歌舞伎の名門、五代目菊五郎の後継者として苦労なく育ち、外の批判は耳に届かず驕っていた。それをたしなめたのは弟の乳母、お徳で、その後は菊之助は芸を磨くのに精進するようになり、二人の間に愛がめばえる。怒った父の菊五郎菊之助を勘当する。映画版では菊之助一人で大阪に行き、一年後に訪ねてきたお徳と一緒になるのだが、芝居では、二人で大阪に行くことになっている。最初は大阪の劇団の舞台に立っていた菊之助だが、それも地方まわりの劇団の舞台になり、長旅にお徳は胸を病み、苦難の日が続く。そこへ菊之助に舞台復帰の話が持ち込まれるが、それは父からの指示だった。お徳を訪ねた菊五郎はお徳に菊之助と別れるように頼み、菊之助の留守にお徳は家を出る。帰った菊之助は悲嘆にくれるが、両親によって劇団に連れ戻される。劇団に戻った菊之助は修行の甲斐あって、芸の腕上がったと評判をとっている。その、菊之助が大阪興行の日、病床のお徳の世話をしていた下宿の主人がお徳の亡骸を劇団に届ける。菊之助が対面したのはもうこの世の人ではないお徳だった。この終わり方も映画版とはまったく違っている。





実際の舞台でも観ましたが、こうやってDVDであらためて観てみると、台本の場面展開の上手さ、登場人物の描き方、その対比が光っています。たとえば、菊之助はお坊ちゃん暮らしのくせが抜けなくて、今から駆け落ちしようかという時に雨に降られた彼は車を呼び止めようとして、お徳にたしなめられます。このときのお徳の「着物は濡れても心までは濡れません」というせりふと、そのあとの二人の掛け合い、秀逸です。また二人の困窮ぶりを描くのに、映画では木賃宿を使っていますが、新川バージョンではそばやの屋台のシーンを使っています。このシーンでの二人の対比も見事です。笑也さんは菊五郎の育ちのよさからくる「お坊ちゃん」ぶり、ある種の責任のなさ、軽さを上手く演じていますし、博也さんはお徳のしっかりものぶり、純粋さ、そしてその献身ぶりを全身全霊で演じていて、涙なしには観られません。前編、後編の二部構成の長いお芝居ですが、長さを感じさせない素晴らしい演出です。







映画版も溝口作品の中では『元禄忠臣蔵』にならぶ傑作ですが、新川劇団のものは舞台ならではの臨場感、迫真の演技でそれを抜いています。他劇団ではここまでのクオリティのものを作るのは難しいかもしれません。