yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

新川劇団 16日昼・夜

お芝居 『男の意気地』

名前の漢字が違っているかもしれませんが、以下が筋書きです。

豊玉一家の若親分、弦太はわがまま、横暴で有名。料亭で飲んでいたが、芸者にも肘鉄砲を喰らう。そこを部屋を間違えた浜田一家の若い衆、佐吉に見られたと思った弦太は佐吉に殴る蹴るの暴行を働き、額に傷を負わせる。それでも腹の虫のおさまらない弦太は、佐吉に別の場所にくるようにいう。そこで決着をつけようというのである。





その話を聞きつけた浜田一家の親分は、佐吉の家を訪ねて、病床にある佐吉の妻に代わって佐吉の赤ん坊の面倒をみている佐吉の母から、子供を借り出す。赤子を使って、弦太の怒りをおさめようというのである。浜田一家の親分はそれを佐吉には話さないように母親に頼んで、弦太のところに向かう。





帰宅した佐吉に、母親は親分の意図を話す。決着の場へと向かう佐吉と別れの盃を交わした母は、彼にドスを渡す。





弦太は浜田一家の親分の嘆願も聞き入れない。そこへ佐吉がやってきて二人は互いにドスを抜こうとするが、佐吉の兄の豊玉一家の二代目に止められる。彼は父親の豊玉一家初代の葬儀の場から駆けつけてきたのだ。兄の意見にも耳をかさない弦太、もはや二人を決闘させざるをえないと考えた兄は、二人からドスをいっとき借りた後、二人に返す。





二人が決闘を始めるが、弦太が佐吉の腹を切ったのに、佐吉は傷一つ負わない。一方、佐吉の刃を腹に受けた弦太の方は痛みに身悶えする。それでもなおのこと、佐吉に向かってゆく弦太。もう一刀、佐吉のドスを首にあびた弦太は、初めて自分のドスが切れなくされているのに気づく。虫の息で「なぜ刃引きをした」と兄に詰め寄る弦太。「お前は負けたんじゃない、勝ったんだ」と言う兄。「そうか、俺は勝ったんだ」といいながら死んでゆく弦太。



兄は弦太が息絶えたあと、浜田一家の親分、佐吉に去るように促すが、浜田一家の親分は彼に「初代に勝る二代目なしというが、あなたは違う。男の中の男だ」と言い、去ってゆく。彼らが去ったあと、兄は自分の羽織を脱いで弦太に着せ、手を合わせる。嘆く彼の姿で幕。





昼・夜両方観て、堪能しました!





特筆すべきは博也さんの息づまるような集中力でした。とくに、苦しみながらも何度も何度も立ち上がり、佐吉に歯向かって行くさま、熱演でした。兄に「なぜ刃引きをした」と迫るところ、涙なしにはみられません。「悪い男」がある種の崇高ささえ帯びてくるのです。断末魔の中でも、なんとか闘おうとする弦太に、その肉体的な限界を精神で超えようとする弦太に、観客はいつのまにか同化してしまいます。無体な理屈で佐吉をいたぶる弦太、どうしようもない横暴者の弦太がその不条理ゆえに、逆に崇高さを帯びる瞬間です。





九州の劇団でもこの手の芝居はあります(真芸座で梅之助さんの朝比奈、昇さんの五郎兵衛でいやっーというほど観た『喧嘩屋五郎兵衛』とも似ています)が、演者があまりにも自己陶酔している感じがして、何回か観るうちに、ちょっと閉口しました。博也さんはきちっと役を「演じて」いるのがわかりました。役とご自身の間に距離があり、「芝居」として演じられているのがよくわかりました。こういう場合、演技力がものをいいます。博也さんの並外れた演技力、そのレベルの高さに圧倒されました。

『残菊物語』や他の難しいお芝居ででも、博也さんの演技力、光っています。とくに、悲劇をやれば、右に出る役者はいません。いわゆる「臭い芝居」にならずにここまで迫真性を出せるのは、彼の演技力なのでしょう。





そして、口上のときには今悶え苦しみながら死ぬさまを熱演した博也座長が目の前に現れるのですから、お客さんたち、大喜びですよね