yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『鬼平外伝 正月四日の客』@関西テレビ 1月3日再放送

原作は、池波正太郎の『にっぽん怪盗伝』中の「正月四日の客」。ただ、原作とは人物造型もプロットも、かなり異なっているようである。池波正太郎の小説、随筆は、ほぼ読破したつもりだったのだけれど、そうでなかったことを思い知らされた。『にっぽん怪盗伝』、近いうちに図書館から借り出して読んでみるつもりである。

時代劇専門チャンネルとスカパー!が共同制作した時代劇とのこと。2012年にスカパー!で、そして2013年に時代劇専門チャンネルで放送された。賞もいくつか獲っているだけあって、優れた作品だった。正月早々からインフルエンザにかかり、家に足止めを喰らってしまったので、普段あまり見ないテレビのお守りをして出会えた作品。途中からなので、曖昧な部分はあるけれど、それでも、感動が押し寄せてきた。後半部はドラマツルギー的にとてもよく練られた筋構成で、脚本家の金子成人氏に乾杯!

主要キャスト

 

あらすじは、「みー太の平和な日々」という方のブログに詳しい。リンクさせていただく。

blogs.yahoo.co.jp

手下たちに、「貧しい者からは盗まない、押し入り先で人を殺さない、また女を犯さない」とい掟を課して「おつとめ」をする盗賊の親分。だから、押し込みの準備には時間がかかる。掟を自戒するのに自分の腕に亀の彫り物をし、それがために「亀の小五郎」と呼ばれている男を、松平健が好演。彼の演技を見たのは、これが初めてだったので、「こんなに説得力のある芝居をする人なんだ!」と驚いてしまった。盃を持つ手つき、蕎麦を食べる箸の使い方というところに、しみじみとした情の深さが窺える。これ、鬼平を演じた吉右衛門にもいえること。食べたり、飲んだりする時の「所作」に、その人の品格が滲み出る。池波自身が、おそらくはそう信じていたのだろう。だから、品格のない役者が演じたら、きっと文句をいうはず。『鬼平犯科帳』でも、しばしば「人格者」と言っても良い盗賊親分が出てくるが、亀の小五郎は彼らに連なる親分。松平健はそういう親分の造型に成功していた。

もっとも感動的なのは、捕り手につかまった小五郎が枕橋のたもとで、彼を密告した蕎麦屋の庄兵衛と対峙する場面。松平の目の演技は秀逸だった。怒っているのではなく、どちらかというといぶかしげで、でも運命を受け止める潔さがあった。いぶかしげだったのは、蕎麦屋の庄兵衛の放った「旦那、押し込む時には、必ず女をおもちゃにするんですってね。そいつを聞きさえしなければ、あたしも黙っていたのにね」が、身に覚えのない批難だったから。

彼の讒言で捕らえられた小五郎が、実際には女を手篭めするのを強く戒めていた親分であることを知った庄兵衛、後悔するのだけれど、それを演じる柄本明の演技にも感服した。後悔の気持ちは、表情に明瞭には示されない。あくまでも押し殺した表情。ただ、視線がそれを物語る。この演技に唸らされた。彼が次にとった行動は、牢にいる小五郎にさなだ蕎麦を差し入れることだった。

毎年1月4日に小五郎が、庄兵衛のところに食べに来ていた蕎麦だった。蕎麦を食べた後、小五郎は庄兵衛の妻、おこうに焼香、その際に彼が腕に刻んだ亀の彫り物を庄兵衛が確認することになってしまった。情け深い小五郎は、おこうへの香典だといって、一両を置いていったのだ。

差し入れのさなだ蕎麦を食べ終わった小五郎が、「親父、蕎麦代がない」と言ったのに対し、庄兵衛は「前に一両もらっています」と答える。ここのやりとりも、心に沁み入る場面である。二人の名優が、醸し出す連帯感の美しさ。ことばにしなくても、互いに想いが解る。

その後、小五郎は打ち首になり、首は晒される。そして庄兵衛宅の仏壇には、親、妻の位牌に加えて、もう一つの位牌が並ぶことになる。この終わり方もしみじみと美しい。カメラワークもすばらしい。