yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

シュツットガルト・バレエ『オネーギン』in NHK BSプレミアム 4月23日

演目、演者詳細は「バレエニュースダイジェスト」サイトからお借りした。以下。

<演 目>
バレエ「オネーギン」(全3幕)
振付:ジョン・クランコ
音楽:チャイコフスキー

<出 演>
タチヤーナ=アリシア・アマトリアン  
エフゲーニ・オネーギン=フリーデマン・フォーゲル
オリガ=エリサ・バデネス
レンスキー=デーヴィッド・ムーア ほか

シュツットガルト・バレエ団
管弦楽シュツットガルト国立歌劇場管弦楽団
<指 揮>ジェームズ・タグル
収録:2017年11月3・5日 シュツットガルト国立歌劇場(ドイツ)

ドラマチックバレエといえば「シュツットガルト」といわれるだけあり、バレエというより演劇を見ている感じ。サスペンスタッチの場がふんだんに盛り込まれていて、昨年見て記事にしているMETオペラビューイングでの『オネーギン』よりもはるかに劇的。見ている側をぐいぐいと引き込み、ついにはヒロインのタチヤーナと一体化させてしまう。METの『オネーギン』も悪くはなかったのだけれど、タチヤーナ役のネトレプコにはどうしても感情移入し辛かった。あまりにも逞しい体軀。第一幕のタチヤーナのイメージにおよそそぐわない。もちろんその体軀を「活かした」歌唱は素晴らしかったのだけれど、「こんなおデブさんだったらオネーギンもなびかなかっただろう」なんて、ケシカランことを考えながら観ていた。

シュツットガルト・バレエ団は2012年6月の来日公演で『白鳥の湖』と『じゃじゃ馬馴らし』を見て、いずれも記事にしている。

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『じゃじゃ馬馴らし』の演出、振付けの妙に唸った。夭逝が惜しまれる振付師、異才のクランコを初めて知ったのがこのとき。バレエを見始めた頃で、他バレエ団と比較するだけの場数を踏んでいなかったので、そのレベルがどれほど優れたものだったのかは、のちになってわかった次第。昨年の舞台であるこの『オネーギン』、私が見た6年前とは演者がだいぶん変わっていたようだけれど、それでも舞台の晴れやかさは同質。また、晴れやかさと裏腹の陰影を、場面場面にしっかり刻印するという手法も同じ。陰影が実にsubtleなタッチで示されている。それにドキッとするし、胸に突き刺さってくる。そういえば先月ロンドンで見たロイヤルバレエの『マノン』は一級の踊り手だったのにもかかわらず、そんなには突き刺さってこなかったっけ。ケネス・マクミラン演出だったんですけどね。勝手な想像をするに、アングロサクソン系舞台はオペラといいバレエといい、この微妙な陰影が薄いような?その巨大な財力とパワーで圧倒するのには、桁外れに長けているんだけれど、後の余韻があまりない(と勝手に思っている)。それと、「これで感動しなければ、オマエの感性に問題がある」っていう感じの押し付け感を感じてしまう。

やっと本題復帰、ご容赦。このバレエ『オネーギン』は演出、演者共に秀逸だった。タチヤーナ役のアリシア・アマトリアンはまったく危なげない演技。しかも非の打ち所のない演技。とはいうもののロシアのダンサーのようなスキのないものではない。どこか温かみを感じさせる舞踊だった。スペイン出身と聞いて納得。

フリーデマン・フォーゲルは4年前にミラノ・スカラ座で見ていた。記事にもしている。演技が良かったのはもちろんのこと、姿形が並外れて美しかった。跳躍もドスンドスンっていうのはまったくなく、どこまでもしなやか、優雅だった。

演出でいえば、過激と正統の中間に属していて、一応万人受けしたとは思う。ただ、もう少し大胆なものが、可能な限り過激な演出があっても良かったのでは?振付を変えないで演出に手を加えるというのが「アリ」という前提なんですけどね。