京都御所前、中立売にある金剛能楽堂を訪ねるのは初めて。以前の四条高倉にあった時には二度ばかり能を見に行っている。2003年にそこから現在の場所に移築されたとのこと。もちろん能舞台はそのまま移された。現在の能楽堂は私が今までにみてきた関西、東京のどの能楽堂よりもモダンで、使いやすい、そして見やすい能楽堂だった。現代建築の粋をこらしたデザインと技術の総結集した形が見られた。とくに感心したのが能舞台の上の天井部。他の能楽堂はここまでの高さと広がりがなかった。天井が低いと窒息させられるような気がすることがあるけど、金剛のものは開けた感じ。元来青天井で演じられていた能の形を、できるだけ「再現」させようという意気込みを感じた。
この日は金剛流による二つの能——『半蔀』、『小鍛冶』——が採録された。来年にはこれがスタンフォード大学サイトで「インターメディア的操作」を施された形で公開されるという。能の持つ舞、謡、囃子という三つの構成要素それぞれが動画メディアとなって分解され、適宜コメンタリーが付されることになる。今までになかった試み。面白い。
この記念すべき(?)場に居合わせたのも、京都市立芸大、藤田教授の「お囃子コース」を受講していた特典で、こういう機会があったのを感謝している。
ちなみに、現在金剛流で能を研究されているDiego Pellecchia 氏が、“Filming noh performance at the Kongo Noh theatre”として、ブログにアップしておられるのでリンクしておく。
『小鍛冶』が良かった。『小鍛冶』を見るのは二度目。先月、姫路城薪能で観ているが、薪の点火を神官が行うという奉納の意味合いの色濃いもの。今回はそれとは少し違っているけど、でも特別な機会というのでは共通している。演者は以下。
シテ 宇高竜成
ワキ 有松遼一
ワキツレ 原陸
アイ 茂山七五三大鼓 谷口正壽
小鼓 成田達志
笛 森田保美
太鼓 前川光良後見 豊嶋幸洋 山田伊純
地謡 惣明貞助 豊嶋晃嗣 宇高竜成 今井克紀
種田道一 廣田幸稔
姫路城薪能で見たのは「黒頭」と小書が付いていたが、今回は「白頭」。後場で登場する面頭に付けられているのが白狐になっていた。筋は以前の記事にアップしているので、割愛する。写真がないのが残念だけど、いずれスタンフォード大のサイトにアップされるはず。
感心したのは、シテの宇高竜成さんの機敏な動き。これは狐を模している。くるりと横後ろに身体を回転させる。それをたしか三度も。幕間の金剛永謹家元のお話だと、金剛特有の所作でもあるらしい。そもそも「下掛り」に属する金剛流。「上掛り」に属し、優美さを売りにする観世、宝生流の二派に比べると豪快さが特徴だとのこと。シテの動きにそれを確認できたのは幸いだった。そういや歌舞伎の『義経千本桜』でも狐忠信が欄干上を横滑りに移動するという難しい動きをするんですよね。
それにしてもこの能を演じるシテ役の緊張はいかほどかと思った。一回限りの舞台を永続的な映像という形、それもインターメディアに則った形でいわば永久保存するわけで、絶対にミスはできない。無事、大成功。お見事でした。それとおつかれさまでした!そういえば舞台の成功祈願に前日には関係者一同で伏見稲荷大社に詣でられたとか。
金剛流の能を見たのは先日の「京都薪能」に次いで二度目。馴染みがあるとはいえないけど、確かに今で見てきた観世とはだいぶん印象が違った。質実剛健とまでは行かなくともかっちりとした感じ。それは謡に最もよく顕れていたように思う。
ワキの有松遼一さんは確か二度目。茂山七五三さんはもうどれほど見てきたことか。連れ合いとの会話でも気安く「しめさん」呼ばわり。大鼓の谷口正壽さんも二度ばかり、小鼓の成田達志さん、笛の森田保美さん、太鼓の前川光良さんの演奏はなんども聞いている。達人ばかり。安心して聞いていられた。
そういえば京都コンソーシアムの学生たち、20人ほども同席。日本人でも「意味不明」にしか聞こえない謡、それと西洋舞踊と比べるとあまりにもテンポがスローな舞い。これらをよく耐えて見ていたと感心。幕間に前に座っていた女子学生に集団がどういう構成になっているのかを聞いてみた。というのも去年、ペンシルベニア大での恩師のチャンス先生がこの京都コンソーシアムでのコースを担当されていたから。彼女の話だと、いろんな大学の学生で構成されていたらしい。学生たちが日本の古典文学には興味があまりないということで、コーステーマは「日本の食」だったとか。古典文学専門の先生にちょっと気の毒な気がした。私の前に座っていた八人ばかりの女子学生さん、ほとんどが居眠り。無理もない。そういえばアジア系が多かった。