yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

大槻文蔵師シテ、能『清経 恋之音取』in「大槻文蔵・裕一の会」@大槻能楽堂 11月23日

全国的に祝日、ずっと以前にチケットを確保していたこの会にいそいそと出向いた。今回の公演は「故大槻秀夫27回忌追善公演」と銘打ったもの。大槻秀夫師とは人間国宝で当能楽堂の持ち主でもある大槻文蔵師のお父上。この日の演者一覧を以下に。

シテ 平清経    大槻文蔵

ツレ 清経の妻   坂口貴信

ワキ 淡津三郎   福王茂三郎

 

小鼓  大倉源次郎

大鼓  亀井忠雄

笛   藤田六郎兵衛

 

後見  梅若 猶義 上野朝義 上野雄三

地謡  今村哲朗 斎藤信輔 林宗一郎 寺澤幸祐

    浦田保親 上田拓司 浅井文義 山本博

 

 

大槻文蔵師の能は今までに3回見ているけれど、どれも良かった。彼を見たいとういのはもちろんあったのだけど、大きな理由は小鼓の大倉源次郎さんと笛の藤田六郎兵衛が共演されるから。納得の競演に深く感動。「能.com」からお借りした演目解説は以下。

平家一門が都落ちした後、都でひっそり暮らしていた平清経の妻のもとへ、九州から、家臣の淡津三郎(あわづのさぶろう)が訪ねて来ます。三郎は、清経が、豊前国柳が浦〔北九州市門司区の海岸、山口県彦島の対岸〕の沖合で入水したという悲報をもってやって来たのです。形見の品に、清経の遺髪を手渡された妻は、再会の約束を果たさなかった夫を恨み、悲嘆にくれます。そして、悲しみが増すからと、遺髪を宇佐八幡宮〔現大分県北部の宇佐市〕に返納してしまいます。

 

しかし、夫への想いは募り、せめて夢で会えたらと願う妻の夢枕に、清経の霊が鎧姿で現れました。もはや今生では逢うことができないふたり。再会を喜ぶものの、妻は再会の約束を果たさなかった夫を責め、夫は遺髪を返納してしまった妻の薄情を恨み、互いを恨んでは涙します。やがて、清経の霊は、死に至るまでの様子を語りながら見せ、はかなく、苦しみの続く現世よりは極楽往生を願おうと入水したことを示し、さらに死後の修羅道の惨状を現します。そして最後に、念仏によって救われるのでした。

 

世阿弥作。『平家物語』に題材を採った修羅能。修羅能はいくつかみたけれど、この『清経』が最も現代的。構成の面でも人物描写の点でも。清経の遺髪を一旦は拒否した妻。その屈折した心理は現代人でもよくわかる。彼女の清経への強い想いが、「遺髪拒否」という行動に集約されているから。彼女の「拒否」という行動が清経の霊を呼び出すことになるのも、すんなりと納得できる。こういう駆け引きは現代的。現代の男女間でも起きうることだから。

 

上にも書いたけれど、大倉源次郎さんと藤田六郎兵衛さんの共演だけでも見る価値があった。でももちろん、みどころはそれだけではない。枚挙するのが追いつかないほどの数ある。ひとつひとつ挙げてみる。

 

大槻文蔵さんのシテはとびきり説得力があった。特に「懐疑的」な妻に対して入水のサマを語り、かつ演じてみせるところは鬼気迫っていた。それと同時に、そこまでしなくては妻に理解してもらえない無念さをも窺える所作。彼の存在自体を包み込むなんともいえない虚無感。「悲しい」、「空しい」と声高に言わなくても、清経の思いはダイレクトにこちらの胸を打つ。非常に安定感のある、説得力のある演技だった。

 

ツレをされたのは東京観世会の方のようだった。キレの良いハキハキした、また高い声をいかしたセリフ回しだった。何といっても目につくのが関西観世の地謡のレベルの高さ!瑕疵がまったくないっていうのも可愛げがないのかも。こんな勝手なコメントをしてもしっかり受け止めてくれる(と想像される)大阪の能楽師の方々がすばらしい。

 

演者は色々なグループから招いたのだろう。観世宗家、銕仙会、京都観世、京阪神観世、そして大阪観世。それぞれ違った個性を持ったグループだけど、それらがぶつかり合い、融合もすることで活力のある舞台になっていた。