yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

初代中村吉右衛門の「熊谷 」in「にっぽんの芸能」(NHK eテレ)

18日、昼夜で歌舞伎座9月恒例の「秀山祭」を観た。迂闊ながら、「秀山祭」が初代吉右衛門生誕百二十年を記念して2006年から始められたものだということを、それまで知らなかった。主催者は孫の幸四郎と二代目吉右衛門。道理で吉右衛門のオンパレード。幸四郎は出ていなかったけど、初代の孫にあたる染五郎がほぼすべての演目に出ていた。演目はもちらろん初代に因むもの。

昼夜を続けてみると、かなりうんざりする。しかも演目が古典ばかりなので、正直いって退屈してしまう。例外は玉三郎が政岡を演じた『伽羅先代萩』のみ(ちょっといいすぎかな)。これについてはまた記事にするつもり。

ホテルに帰ってからテレビをつけると、タイムリーに初代吉右衛門について、渡辺保さんが解説していた。 NHK、eテレの「にっぽんの芸能」。初代最後の舞台『一谷嫩軍記』中の熊谷。ほんの数分だったけど、思わず見入ってしまった。リンクしておく

その場面というのは、あのあまりにも有名な熊谷の慨嘆、「十六年は一昔。ああ、夢だ」の場。彼が平敦盛として義経にさしだした首は実は息子、小次郎のものだった。義経のなんとか敦盛を助けようという意図を汲み取っての熊谷、苦渋の決断だった。いろんな役者が演じるのをみてきた。現吉右衛門の熊谷は素晴らしかった。でもこの初代の熊谷はさらにすごかった。これぞ古典のお手本とでもいうべきもの。形式(型)に則りながら、そこに悲嘆の情を籠める。封建社会の主従関係。現代からみれば不条理そのもの。それを現代の観客に判らせるには、単に嘆いてみせるだけではダメだろう。それだと、「なぜ反抗しなかったの?」ということになってしまうから。普遍性をもたせるには、何かの助けがいる。それが型ということになる。型というのが単なる形式ではなく、歌舞伎演技のエッセンスの蓄積、歴史の上に成立しているのだと、あらためて認識させられた。普遍性をもつのが古典なのだと。