yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『通し狂言 雷神不動北山櫻(なるかみふどうきたやまざくら)』@歌舞伎座 12 月24日夜の部

市川宗家、成田屋の十八番である「毛抜き」、「鳴神」、「不動」の入った通し狂言。この演目を通しで観るのはもちろん初めて。副題が付いていて、曰く、「市川海老蔵五役相勤申し候」。『伊達の十役』のときと同様、この副題に彼の宗家としての自負が見て取れる。魂が震えるような感動があった。海老蔵には十月の自主公演でかなり失望したところだったので、とてもうれしい。

とくに大詰めは、歌舞伎座の装置を総動員、ありとあらゆるテクを駆使しての大立ち回り。もとの通し狂言にもこういう演出は入っていたのかもしれないが、私が想像するに海老蔵の発案、発想が活かされたのではないか。故勘三郎が野田秀樹の力を借りて新しい舞台に挑んだように、海老蔵も革新的な舞台を創造しようと意気込んでいるのがひしひしと伝わってきた。感動した。海老蔵は勘三郎とは違ったというか、真逆の路線でそれを成そうとしているように思った。歌舞伎座という西欧の新しいオペラハウス(おそらくMETが念頭にあったと推測する)に匹敵する装置をもつ劇場を目一杯活かした演出をする。ただし!宗家の意地にかけて、古典の芯(心)の部分は保守し、その上でどこまで弾けられるかに挑む。そういう気が満ち満ちていた。

以下が「歌舞伎美人」から借用させていただいた構成と配役、それにみどころ。

<構成>
序 幕 
第一場 神泉苑の場
      
第二場 大内の場
  

二幕目 小野春道館の場
 
 
三幕目 
第一場 木の島明神境内の場
      
第二場 北山岩屋の場
  

大 詰 
第一場 大内塀外の場
      
第二場 朱雀門王子最期の場
      
第三場 不動明王降臨の場




<配役>
   
鳴神上人  
粂寺弾正  
早雲王子    海老蔵(五役)
安倍清行  
不動明王  

文屋豊秀   愛之助
小原万兵衛実は石原瀬平 獅 童
小野春道    市川右近
白雲坊     亀三郎
黒雲坊     亀寿
小野春風    松也
秦秀太郎    尾上右近
錦の前     児太郎
八剣数馬/こんがら童子 道行
腰元巻絹    笑三郎
八剣玄蕃/せいたか童子 市蔵
関白基経    門之助
秦民部     右之助
雲の絶間姫   玉三郎


<みどころ>
◆ 歌舞伎十八番の魅力が凝縮された勧善懲悪の物語
 時は平安時代のはじめ。帝には早雲王子という後継者がいましたが、陰陽の博士安倍清行は、王子が帝位につくと天下は乱れると予言します。そこで帝は高僧鳴神上人に、妃が身ごもった女子を男子に変える「変成男子」(へんじょうなんし)の行法を命じ、見事、世継ぎの男子が誕生します。帝になる望みを絶たれた王子は、まず手始めに鳴神上人を都から追放。この企みによって朝廷に恨みを抱いた鳴神上人は、自らの行法で京都北山の滝壺に龍神を封じ込めてしまい、以来、都では日照りが続き、人々は旱魃(かんばつ)に苦しみます。そこで朝廷は、清行の高弟で宮中一の美女とうたわれている雲の絶間姫を上人のもとに遣わせます。絶間姫は、雨を降らせるために龍神を飛び去らせる方法を思案します…。
 一方、粂寺弾正は、小野春道の館を訪れ、主人文屋豊秀の輿入れが延期されている春道の息女錦の前の奇病の解決に乗り出しますが…。

 歌舞伎十八番の『毛抜』『鳴神』『不動』の3演目は、1742年に初演された『雷神不動北山櫻』のうちの一幕として上演された作品です。この『雷神不動北山櫻』は、これまで何度も練り直して上演されてきましたが、今回、歌舞伎座では初めてとなります。
 天下を掌握しようという悪人たち、これを防ごうとする善人たち、さまざまな人物たちが、縦横無尽に活躍する勧善懲悪の物語。荒事の魅力、早替りなど歌舞伎ならではの魅力が満ち溢れた舞台をお楽しみください。

全体としてはとても長く、正直なところ途中退屈する部分もあった。この冗漫な部分をダイジェストにした方が、もっとも力の注ぐ最後の幕、大詰めが生きると思う。

感心したのは、愛之助、獅童、松也、(尾上)右近たち、それに澤瀉屋の芸達者、笑三郎、(市川)右近、門之助等、そして亀三郎、亀寿たち中堅が出しゃばらなかったことで、海老蔵の演技がどの役の場合も立っていたこと。

そして!雲の絶間姫の玉三郎。「おみごと!」としかいいようがない。彼も海老蔵を力一杯支えているのが、彼を誘惑する場面からみてとれた。三階席からオペラグラスを使ってからだったというのではなく、どこからみても18歳のお姫さまにしかみえない。ずっと目をパチパチさせてとてもかわいい。海老蔵と並ぶと、本当はかなりの歳の差があるのに、海老蔵の方が年上にみえるほどのかわいさ、可憐さだった。これじゃ、上人さまでなくともどんな男でも堕ちますよね。

最後の大立ち回りは圧巻だった。不動妙王に「変身した」海老蔵は、その身体全部からものすごいエネルギーを発していた。周りの立ち回りの人たちも大変だったと思う。なかでもいかにも成田屋と感じたのが立ち回りのときの梯子の組み方が「三升」になっていたこと。海老蔵の発案だろう。ありとあらゆる場面に「成田屋ここにあり!」の自負と意地と矜持をみた気がした。