yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『一本刀土俵入』@ 歌舞伎座、1983年11月

これと『伊勢音頭』の二本を図書館から借り出してきた。『伊勢音頭』の方は私が1995年に歌舞伎座で観たものだった。玉三郎の万野が強烈に印象に残っている。これについてはまた稿を改めたい。

この『一本刀土俵入』は聞きしに勝るすばらしいものだった!既に30年も経過しているので、白黒の映像はそれほど魅力的ではないのだが、いったんドラマが始まると「ほんもの」がもつ圧倒的な力にただただ感嘆の声しか出ない。ほんものというのはここでは歌右衛門であり、勘三郎である。このとき勘三郎74歳、歌右衛門66歳。老境の二人、しかもこの5年後には勘三郎は亡くなっているので、まさに勘三郎最晩年の舞台といえるだろう。この人の舞台を実際には観たことがないので、このビデオは文字通り初めての勘三郎である。

配役は以下。

駒形茂兵衛:十七世 中村勘三郎
お蔦:六世 中村歌右衛門
船印彫師辰三郎:寛川延若
波一里儀十: 中村吉右衛門
堀下根吉: 中村勘九郎

冒頭の我孫子屋の場での勘三郎の登場は年齢を感じさせた。足下がいくぶんかあやしげだった。もちろん「空腹で尾羽打ち枯らした」茂兵衛の様子をよろつく歩みでみせているのだろうが、身体の動きが「演じている」というよりむしろ肉体的に衰えていることを示していた。ところがその十年後の布施川辺りの場では、威勢のよい渡世人そのものである。切る啖呵も江戸前、挑んでくるヤクザをあっさりとやっつけるところなんて、カッコよくまるで壮年の身体の動きだった。もちろん大写しになるとその身体、とくに顔は年齢相応であったけど、遠目にはそれは分からない。そのカッコよさが際立っただろう。大向こうさんたちも、「よっ、中村屋!」と大きなかけ声をかけたにちがいない。それほど彼の変身はあざやかだった。

でも、歌右衛門のお蔦の化けぶりは勘三郎を超えていた。いくらお蔦が年増とはいえ、歌右衛門我孫子屋の二階の障子を開けて顔をだしたときは、どこをどうみても老女にしかみえなかった。しかし茂兵衛に語りかけるその鉄火な台詞、口調を聞いていると、あら不思議、その年輪を刻んだ顔も声も一挙にひとっとびして、三十歳前後のいきな女にみえてくる。最初の2、3分のところで、歌右衛門女形としての圧倒的存在感に呑み込まれる。これは私にとっては初めての経験だった。歌舞伎の舞台を近くでみるのが気が進まないのは、歌舞伎で名題を務める役者の老け顔、身体をみたくないからである。役者だけでなく観客もかなりの「無理」を強いられるのが歌舞伎の舞台である。実際のところ皺だらけの女形をみて、「『すばらしい演技』が彼を十七歳にみせていた」なんていうのはあまりにも贔屓の引き倒しであろう。

「十一代目(團十郎)はよかった」だの、「六代目(菊五郎)は天才」だのと聞かされれても、「また年寄りの懐古趣味が始まった」とほとんど信じなかったのだが、やはり「本当」だったのかもしれない。たんなる美化ではなく、あくまでも正確な判断だったのかもしれない、と思い始めた。

このビデオ、なまじっか残っていなかったほうがよかったのかも。力量では足下にも及ばない今の若手の役者たちは当然のことながらこのビデオで昔の役者の演技を学習する。でもそれは己の力量不足を否が応でも知らされることでもある。伝説になっている名優を超えるのは生半可な決意では到底無理なことを思い知らされるのだ。