yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

加藤周一著『梁塵秘抄』

岩波から出ていた「古典を読む」シリーズの中の一冊。出版年は1986年で、彼も古書店から買ったようである。つれあいも最近日本古典にはまっているようで、もともと私fと違い学究肌の人だから、部屋という部屋中古典関係の本だらけ、これもその中の一冊だった。

加藤秀俊さんの『メディアの発生--聖と俗をむすぶもの』の中の後白河法皇の『梁塵秘抄』についての論考に刺戟を受け、ぜひとも原書でよんでみたいと思っていたのに、そのままになっていた。だからこの本が目に飛び込んできたときには、反射的に手にとっていた。

加藤周一さんの著書は『羊の歌』をアメリカにいhたときに友人に薦められて読んだ程度である。でも彼が言うほどには感銘を受けなかった。左翼的知識人の頭でっかちな回想のように思えたからである。またその後の大江健三郎などと協調しての「政治的」発言にもあまりシンパシーを感じられなかった。

ところが、この著書はとても面白かった。といっても、『羊の歌』と同じフレームワークの中に納まってはいる。加藤秀俊さんの『メディアの発生』にも古典を通しての芸能批評という側面があるが、加藤周一さんとの違いはその目線にあるように思う。加藤秀俊さんの目線は批評者としての目線と芸能者の側にアイデンティファイする目線とが共存する形で存在するのに対し、加藤周一さんのは一段上から俯瞰するような目線である。つまり「批評者」としての目線に徹している。だから結論はあらかじめ決まっている。それも唯物論的思考の上に立ったもので、支配者/被支配者という分類、つまり抑圧者/被抑圧者という対立軸の中で理論付けがなされている。こういう姿勢はきわめて西洋的なセオリーの提示の仕方に思える。

その理論そのものは西洋のものではあるけれど、比較文化のメソッドとしては普遍的なので、日本の古典にも適用可能であり、彼の論はそれを「証明」している。吉本隆明は加藤の「雑種文化論」に対して「さしずめ、西欧乞食が洋食残飯を食いちらしたあげく、伝統詩形に珍味を見出しているにすぎない」*1と評したというが、それはちょっと的外れだと思う。理論としての適用の可能性を探ったというだけでも意味があると思うし、実際に「成功」している。

ただ西洋でも、「理論」に対する抵抗がこの著書が書かれたころには顕著になっていて、それが「ポストモダン」よばれるムーブメントになるのだが、加藤周一さんはあくまでも理論へこだわり続けようとしたのではないだろうか。

しかし、しかしである、彼が後白河法皇が収集した「今様」の集大成である『梁塵秘抄』の解読を引き受けたときに、自身の理論へのそのこだわりゆえに思わぬほころびを出してしまう可能性に無意識的だったとは思えない。

それが分かる箇所がいくつかあるのだが、一部引用してみる。

 私は「吹く風」と「野辺」という言葉から、十五年戦争のころ、信州の高原で西風と対話することをやめなかった若い詩人、立原道造を想出す。(中略)時代は嵐のなかにすべてを捲きこもうとしていた。暗雲と疾風。荒野のリヤ王のように、「吹け、風よ、頬を打て、荒れよ、吹け」とでも叫ぶ他ない時が迫っていた。

西風はもちろんシェリーの『西風の賦(Ode to the West Wind)』へのアリュージョンであり、リア王のせりふはいわずと知れたシェイクスピアの『リア王』から来ている。いずれも嵐の状況下、荒々しく吹く風が変化をもたらすことを願う強い思いが歌われている。この西洋の文学作品へ言及は、加藤周一という人のそれまでの西洋的教養が巧まずして出てきたところであり、彼の思いはそこに仮託して噴出すしかなかったことを示しているように思う。詩歌は常に理論をこえてはみ出してくるものを抱えている。「西風」にあたるものをはらんでいる。彼の西洋的な教養が日本のもの分析する場合にも、ある種のメディアとして介在するのだが、それが詩であるのは必然かもしれない。今様という日本の詩歌(歌われていたのだが、現在それがどんなものだったかは知る由もない)を解読するのに、西洋の理論(この場合はグラムシ)を援用するというのは、彼にとってはごく自然だったのだ。

だが、そこにほころびは存在する。というのも今様を集め『梁塵秘抄』という形にしたのはほかならぬ体制のトップに君臨する後白河法皇だったのであり、その今様がいかに当時の大衆の悲哀を「痛切に」歌っていても、そこにはその体制そのものの法皇がいることを忘れるわけにはいかないから。加藤周一さんが「それにしても、いかなる倒錯的感情によってか、後白河自身は、そういう歌を夜昼謡いつづけることに熱心であった」というとき、「後白河」というのは彼自身であるように思えて仕方がない。後白河の矛盾は彼自身が抱える矛盾に重なっているのであり、そう考えると、彼が自身の矛盾に無意識的だったとは思えなくなるのだ。この矛盾についてはまた稿を改めて考えてみたい。