開始は午後7時から。開場はその30分前から。ふるってご来席を! そういう本人が迂闊なことに今日まで気付かず、社務所の閉まる午後5時に滑り込みセーフ、チケットを入手した。この奉納能の正式名は「弓弦羽嶽大祓祀」。趣旨がチラシに明記してある。以下。
「弓弦羽嶽大祓祀」は、従来の「熊野の神々のもと執り行われる祭祀」ではなく、社殿の背に聳える六甲山(弓弦羽嶽)自体を御神体とし、瀬織津比売命をモデルとした「務古津比売命」(巫女神)が宣り下りして参集者の罪穢れを祓い清めるという「新たな大祓祭祀」です。
古代、渡来してきた外来文化と混淆する際にも原態として保持され続けた日本的アニミズム。いまだもって日本人心象に強く残るその自然崇拝の念を、この祭祀が浮かび上がらせるという。そして、この祭祀により、個別宗教、あるいはそれぞれの宗派の違いが止揚され、新たな場が拓けるという。それがこの祭祀、奉納能を執り行う趣旨であるということだろう。
非常に興味深い。とくに羽生結弦選手がSP、そしてフリーのプログラムで選んで来られた曲の多くが、自然、アニミズムをテーマにしたものであったことを思い合せてしまう。あらためて、この神社と結弦さんとの絆を思う。
能自体はシンプルなもので、「務古津比売命」(巫女神)を仲介(メディアム)として、御神体である弓弦羽嶽神が降臨する。そして連れ舞いを舞いつつ弓弦羽嶽に消えてゆくというもの。どこか能『羽衣』を連想させる。
なんと監修は林宗一郎師と味方團師。シテ、ツレともに若い河村和晃師と河村浩太郎師。笛も若い杉信太朗師。それを小鼓の曽和鼓堂師、大鼓の谷口正壽師、太鼓の井上敬介師がサポート。若い力が弾けるに違いない。とくに演者が(阪神間の方ではなく)京都観世の能楽師の方々であることが、うれしい!品格の高い、見応えのある、この神社にふさわしい薪能になることは必定。そして、私自身が中学生以来、親しんできたこの神社が「交差」の舞台となることが、なによりもうれしい。この奉納能の成功を祈願してきた。
もちろん羽生結弦選手の来シーズンの活躍も祈願してきた。「ニジンスキーに捧ぐ」をアレンジしたものになる(?)という羽生結弦さんの新プログラム。それを知ったとき、あの「オリエンタル」な(このターム、PCコードに引っかかる?)香り高い「バレエ・リュス」のイメージがおしよせてきて、息がつまりそうになったんです。
羽生ファンの方々には「聖地 弓弦羽神社」。説明するまでもないですね。最寄駅は阪急神戸線の御影駅。住宅地で周りに食事ができる店があまりないので、能公演の際にはお隣の学生の街、阪急岡本駅(JR本山駅)まで出るか、いっそ三宮まで出るしかないでしょう。でも、神社自体が素敵ですので、それだけでも訪問する価値ありですよ。