この連続講座には「マエストロの本音を聴く壮大な9講座」との副題が付いていて、毎回研究者とマエストロとの抱き合わせで講座が構成されている。今回のマエストロは片山九郎右衛門師。ワクワクドキドキの期待値マックスで彼の登場を待った。能のときと同じく、楚々として出てこられた。思わず、「かわいーい!」って心のうちで叫んでしまった。
まず観客を巻き込むための地ならしならぬ謡の練習。「高砂」の「四海波静かにて」で始まる箇所を会場一同で連吟。楽しかった。それからお話になったのだけど、和やかな雰囲気が続いた。
普通だったら聴けないお話。「なぜ能楽師の道を選んだのか」といった彼のレゾンデートルを問うような踏み込んだ内容。でもそういう大仰な構えにもかかわらず、ふんわかした口調で語られる。京都弁が時々混じって、よりはんなり感が高まる。彼の舞台でのあのピンと張りつめた雰囲気と思わず比べてしまった。柔と剛の絶妙のバランスを具現化された役者さんなんだと、改めて認識した。お祖母さまが京舞の人間国宝の四世井上八千代さんであることも納得できた。お家自体が京舞と能にどっぶりと漬かった環境。よくぞ重さに押し潰されなく来られたものだと、思ったりもした。
そうそう、一番楽しかったのがお祖母さまの稽古の様子。90歳を超えられても稽古をつけられていたのだけど、そのお弟子さんが齢80を超える元芸者さん。互いに耳が遠いので怒号の飛び交う(?!)稽古風景。ここ、何度思い返しても笑えます。こと芸に関しては一歩も譲らない八千代さんのサマが目の前に浮かぶようだった。孫の清司(現九郎右衛門)さんにはただひとこと、「じょうずにおなりやす」とだったとか。京舞井上八千代の面目躍如たるものがある。なんという意気と矜持。そのご子息である片山幽雪さん(前九郎右衛門さん、人間国宝)もたじたじだったとか。母上の稽古を見た後の幽雪さんの息子の清司さんへの稽古の付け方は凄まじかったとか。絶対に他の機会には聴けないエピソードの数々。
そうそう、九郎右衛門さんの語られたエピソードの部分で思わず、「なるほど!」と腑に落ちたのが、先日ある方から伺った幽雪さんと中村富十郎さんの交流を示すエピソード。その方によると中村富十郎は遅く生まれた息子の鷹之資君の将来を慮って、彼を一時幽雪さんに預けられたのだとか。九郎右衛門さんおっしゃるには、「家の大部分を占めるのが稽古場、舞台だったので生活空間が制約を受けていました。しかもいつも知らない人が来ていて、家族と一緒にお鍋をつっついたりしているんです。あるとき、『顔のでかい人が来ているな、この人一体だれやろ』って思っていたら、それが天王寺屋のおじさんの富十郎さんだったんですよ」っていうものだった!
お話の後は仕舞「天鼓」を舞ってくださった。シテの天鼓の霊がバチで鼓を打つ最終場面だった。軽やかに楽しげに、森羅万象と連動し響き渡る音色。いかにもうれしげで無邪気な天鼓のさま。でもふと演じている九郎右衛門さんの顔が曇り、悲しげに。見ている側も思わずもらい泣きしてしまう。ただ、おみごと!「じょうず」を超えた霊的な「なにか」を舞台に提示されていた。