yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

NHKプレミアムカフェ 「熱狂!河内音頭 ヤンレー節 鳴門家寿美若の夏」

2006年9月放送の再放送。リクエストがいかに多かったかがわかる。以下NHKの番組紹介。

ハイビジョン特集 熱狂!河内音頭 ヤンレー節 鳴門家寿美若の夏 (初回放送:2006年)ヤンレー節で知られる鳴門家寿美若一門に密着、庶民の芸能として日本の夏を盛り上げてきた河内音頭の魅力に迫る。

出演者
【ゲスト】朝倉喬司,【出演】鳴門家寿美若,村井市郎,鉄砲光丸,岩井梅吉,鳴門家寿恵美

このNHKの放送では、河内音頭中のヤンレー節伝承者、鳴門家寿美若さんを取り上げ、河内音頭の夏の陣を追う。河内音頭とひとくくりにするけど、実は色々な郷土民謡が流れ込んで、一つの大きな流れになっていることを知った。

大衆演劇で『河内十人斬り』を見るまでは、ほとんど知らなかった河内音頭。その時々の事件を歌に歌い上げるという芸能の形は人形浄瑠璃にも見られる。実際の事件、それものどかな田園地帯では衝撃的な事件だった「十人斬り事件」。それをすぐさま音頭にして歌ったのが「河内十人斬り」。「事件」が持つ即興性は、河内音頭の長い伝承の蓄積、プロトタイプの中に組み込まれ、なじまされつつも、別の色合いをプラスして歌われる。それがまた伝承の大きな流れの中に解消されて行く。

この番組は鳴門家寿美若という河内音頭の伝承者、実演者を通して、日本の芸能の中にしぶとく、強く、脈々と残ってきた伝統芸能のあり方に迫っている。河内音頭夏の陣を仕切る彼の実生活にまで入り込んでの取材。鳴門家寿美若という一人の伝承者が彼個人だけではなく、その環境、地域の歴史的なもの、いわば地霊のようなものを背負って、出てきたことが見る側に伝わってきた。その地霊は、私たちがそれぞれに抱え込んでいる地霊と共振して、心がざわざわする。私も例外ではなく、波打つ心を抑えられなかった。河内音頭の盆踊りに行って見たい。そういや、盆踊りなんて、6、7歳まで参加したことがあったけど、それ以来ご無沙汰だった。

鳴門家寿美若さんのホームページからの「ヤンレー節」解説が以下。

ヤンレー節とは…
今や、夏の盆踊りには欠かせない河内音頭ですが、ヤンレー節はこの河内音頭のひとつで、大阪府八尾市植松地区に古くから伝わる郷土民謡。 一般的に知られる河内音頭が概ね長音階(いわゆるメジャー)であるのに対して、ヤンレー節は短音階のマイナー。それゆえに独特の哀調感が漂う。
「賑やかにやろう」という雰囲気よりは「楽しく爽やかに踊ろうやないか…」と言った感じで越中八尾の「おわら風の盆」を連想させる叙情的な音色、聴く人に安らぎを与える癒し系の音頭といって良い。

寿美若さんのプロフィールが載ったサイト寿美若さんのHP

鳴門家寿美若さんのプロフィール。

鳴門家 寿美若(なるとや すみわか)  鳴門家師匠「鳴門会」
昭和26年生まれ。この芸会では珍しく、師匠につかず芸を蓄え、18歳で鳴門会を結成。八尾の植松に古くから伝わるヤンレー節(河内の音頭)を伝承、マスターし、その哀調をおびた流麗なメロディを現代の河内音頭に取り入れました。東京錦糸町の盆踊り、日中国交正常化20周年記念 上海公演等、櫓・舞台でヤンレー節河内音頭のより一層の発展を目指すべく公演活動を続けています。2006年8月に、コロムビアからCDを発売。

そうそう、10年前の新世界が映っていて、今のそれと随分と違っているのが印象的だった。浪花クラブには「劇団花吹雪」がかかっていて、幟が上がっていた。劇場前には観客と立ち話をする桜京之介さんの姿も映り込んでいた。

番組に出演されていた朝倉喬司氏はすでに鬼籍に入っておられる。河内音頭との関わりが深かったことを先ほどWikiで知った。以下。

記者だった1978年、取材中に河内音頭に出会って衝撃を受け、雑誌『ミュージック・マガジン』1978年10月号に「大阪の闇をゆさぶる河内音頭のリズム」という評論を発表。翌1979年夏には、東京河内音頭振興隊(のちに全関東河内音頭振興隊と改名)を結成し自ら隊長となって関東での宣伝普及に努めた[8]。なお2009年7月に振興隊の活動から身を引くことを表明し、振興隊も解散した。
1982年には、渋谷のライブハウスと錦糸町のパチンコ店の屋上で、河内音頭大会を開催[8]。錦糸町の町内会有志と意気投合し、1985年から毎年8月末に「錦糸町河内音頭大盆踊り」が行われるようになり、錦糸町の名物となっている。

何年か前、「毒婦論」を描いた時に、彼の著書に助けられた。大学によく生息する似非左翼知識人と違い、真に「無頼を生きた」方だった。