1861年に建立された能舞台は国の重要文化財に指定されている。旧篠山藩では江戸時代、町人の間で能や狂言が盛んだったといい、地元の文化を復興しようと、篠山春日能は1973年からほぼ毎年開催されている。(神戸新聞)
この歴史ある能舞台、演者達も超一流。以下。
「桜川」
シテ 大槻文蔵
ワキ 福王茂十郎
ワキツレ 福王和幸
ワキツレ 広谷和夫
ワキツレ 矢野昌平
子方 斎藤葵地謡 寺澤拓海 竹富康之 山田薫 上田拓司
小鼓 大倉源次郎
大鼓 山本哲也
笛 藤田六郎兵衛
大槻文蔵さんは昨年人間国宝になられた。いずれ今日の演者から人間国宝が出るのは間違いない。私としては大倉源次郎さんが最右翼だと信じている。笛の藤田六郎兵衛さんも可能性が高い。
「桜川」のストーリーを「銕仙会」掲載の「能楽事典からお借りする。以下。
日向国に住む女(シテ)のもとに東国の人商人(ワキツレ)が訪れ、女の息子である桜子からの手紙とお金を託す。実は桜子は母の困窮を助けるために身を売ったのであった。女は驚き嘆き、わが子を捜す放浪の旅に出る。その三年後、常陸国の桜川では磯部寺の僧たち(ワキ・ワキツレ)が近日入門してきた稚児(子方)を伴って花見をしていた。彼等に対し、この土地に住む男(ワキツレ)は、最近女物狂いが現れて面白く狂いの芸を見せるのだと言い、その狂女を呼び出す。実はその狂女こそ、かの桜子の母(後シテ)であった。狂女は、わが子の名にちなむ桜の花を見ては感慨にふけり、「風が吹いて花が散ってゆく」と聞いては手にした網で水面の桜を掬い集め、花を徒らに流すまいとする。その狂う様子に興じていた僧たちであったが、彼等の連れていた稚児こそ狂女の子・桜子であったと判明し、二人はめでたく再会を果たすのだった。
桜子と呼ばれる子供は女の子だと思っていたら、なんと男の子らしい。だから僧に入門したのである。納得。舞台は常陸国桜川。季節は春まっさかり。桜が咲き誇っている。僧たちは花見でこの桜川という桜名所を訪れたのだ。「桜子」、「桜川」と、「桜」が軸になっている。きわめつけはこの春日神社の能舞台を彩る現実の桜。この趣向が面白い。
もっとも感動的なのは、狂女が手に持った網で川面に落ちた桜の花びらを掬うところ。我が子を思い出させる桜、花びらといえど無為に川の流れに任せるのは忍びない。その母の我が子を想う強い思いが通じ、彼女は息子との再会を果たせたのだ。
シテの大槻文蔵氏、物狂いの様が真に迫っていた。華奢で小柄な方なので、母親に見える。嘆く様子もはかなく、可憐な感じ。とはいえ、台詞になるとさすがのずっしりとした節回し(こういうタームは使わないのかもしれません、ご容赦)。悲しみが切々と伝わる。
私がその場にいたもっとも大きな理由が大倉源次郎さんの小鼓を聞くことだった。私の席は正面左の席だったので、横からしか囃子方は見えず。ちょっと残念な位置にもかかわらず、やっぱり源次郎さんの小鼓は迫力があった。もちろん掛け声も。そしてあの端麗なお顔とお姿も。その美しい、品の良い佇まいを見ると癒される。ホッとする。でも演奏はそれとは対照的に激しい。このミスマッチが素敵です。
大鼓の山本哲也さんの掛け声も素晴らしかった。鬼気迫るというのはこういうことをいうんでしょう。溜めた息を吐き出す時の凄まじい掛け声。圧倒される。
小鼓と大鼓、そして太鼓の協奏を分節するのが笛。藤田六郎兵衛さんの笛を聞くのはこれで確か三度目。空間を切り裂く高い音に身を糾されるような気持ちになる。日常と非日常の区切りをイヤという程明確に示してくれる。
これほどの超一流の演者を招くことのできる「篠山春日能」の歴史の重みと意味を思った。来年も来たいと思った。先に引用した神戸新聞の記事にあったように、五百人を超える観客。ここにも歴史を感じてしまった。
天気予報では雨だったのに、やっと晴れた。演能の間は結構陽が強かった。ただ、最後の「邯鄲」が終わる頃に雨が降り出した。なんとか最後まで屋外で見ることができたのは、幸運。「邯鄲」も素晴らしかったので、別記事にする。