yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『弁天小僧』劇団美山@新開地劇場11月3日夜の部

「里美版歌舞伎」と銘打ってのもの。その意欲的な試みをこの目で確認しておこうと出かけた。私は江戸文化圏の人間ではないので、この狂言を特に好きというわけではない。でも、3月に京都南座で松也と巳之助の組み合わせで観たところだったので、松也と同年輩の里美たかしさんはどう演じるんだろうと興味があった。あの流麗な黙阿弥節を聴けるのも楽しみだったし。

大衆演劇では「浜松屋の場」のみをやることが多く、いくつかの劇団で観ている。その中では小泉ダイヤさんの弁天小僧が最も良かった。ならず者の役だけど、やる役者には品格が求められる。その点でダイヤさんの弁天小僧は群を抜いていた。さすが嵐劇団からの伝統と矜持。

歌舞伎では、『青砥稿花紅彩画』、あるいは『弁天娘女男白浪』という通しでかかることが多い。人気狂言なのでよく遭遇する。さっき勘定したら菊五郎で二回、現菊之助で二回、十八世勘三郎(勘九郎のときのもの)で二回観ている。正直いって菊五郎の弁天小僧はいただけなかった。上半身を脱いで中年太りをした身体をみせられては興ざめ。これは演技云々をこえている。勘九郎(当時)の弁天小僧は愛嬌と可愛さが群をぬいていたけど、お稚児あがりにはちょっとみえなかった。やはり菊之助が良かった。なによりもきれいで、お稚児あがりというのが納得できた。この弁天小僧、黙阿弥は当時十七歳の十三世市村羽左衛門(後の五代目菊五郎、1844〜1903)のために書いたのだとか。そう考えると、菊之助がもっとも適していたのが了解できる。

(私の解釈では)弁天小僧は、うら若い女性にみえるほどの美貌の持ち主。「浜松屋」でも分かる通り、ものすごいワルではない。義侠心を持ち合わせた、ちょっとした不良少年の趣。この矛盾を身体で表現しなくてはならない。美貌の奥から透けてみえる悪の萌芽。しかも「悪」は彼の生い立ちから来る必然的なもの。そこに独特の退廃感が醸し出される。この表現でも菊之助はダントツだった。松也の菊之助に不満だったのは、単に「弁天小僧」という形をなぞっただけだったから。解釈が見えなかった。身体でそれをカバーするにも柄が大きすぎた。こうなると野卑になってしまう。退廃の雰囲気とは真逆。

里美たかしさんの菊之助もこの松也のに近かった。あの決めのつらねの際、身体を揺するのはいただけない。身体の軸はまっすぐに通していないと、品がなくなる。ごそごそと無駄な動きが雑味を生み出してしまう。雑味といえば、年齢が高いのもその原因のひとつかもしれない。ヘンな色気ムンムンになってしまう。大衆演劇の客はこういうのをアプリエイトするのかもしれないけど、私は鼻白んでしまった。いちおう「歌舞伎」と銘打つんであれば、ここをしっかりやらないと、「歌舞伎」には張り合えない。身体を「つくる」ということにかけては、歌舞伎役者にはとうてい敵わない。死にものぐるいの稽古を彼らは幼少の頃からやっているんですから。

こうたさんというこれ以上ない適任がいるのだから菊之助は彼に任せ、自身は力丸の方が、あるいは日本駄右衛門が良かったのでは。駄右衛門がもっともニンに近い。「菊之助」で踏ん張るんであれば、大衆演劇の周縁性を逆手にとり、思いっきり外してみせても良かったのでは。たとえば近江飛龍座長などがよく演られるように。歌舞伎にはないパワーと大衆演劇ならではの工夫と魂胆を観てみたかった。