8月7日の産経と朝日のネットニュースで知った。引退後はプロスケーターに転向するという。以下がその記事。
【トロント=田中充】フィギュアスケート男子でソチ五輪金メダルの羽生結弦(ANA)が6日、トロントにある練習拠点のリンクで練習を報道陣に公開し、23歳で迎える3年後の平昌五輪を区切りにプロへ転向する意向を明らかにした。
羽生は練習後の取材で、「平昌で(金メダルを)取って、そこからプロになろうと決めていた。自分がまだベストな状態のときに、プロスケーターでありたい」と語り、連覇を狙う次の五輪を集大成と位置づけた。
この日は、今季のショートプログラム(SP)曲で、昨季と同じショパンのピアノ曲「バラード第1番」を使うことも発表した。けがの影響で昨季は断念した演技後半に4回転ジャンプを組み込む難度の高い構成で、公開した練習では、まだ調整不足ながらも曲をかけた場面で、後半の4回転を着氷させた。
羽生は例年、秋のフィンランディア杯をシーズン初戦に見据えているが、今季はトロントで重点的にトレーニングを積むため、初戦は移動が少ないカナダで10月中旬に行われる国際大会とする見込み。
以下に記事に付いていた写真をお借りする。
ネットで検索したところ、彼はすでに一年以上前に、「23歳で引退」と表明していたんですね。『ポストセブン』の記事、リンクしておく。この記事によると、震災復興のまだ先がみえない状態の中、強い無力感に苛まれている様子が伝わってくる。プロに転向し、アイスショーなどで得たお金を復興に回すことも考えているのだという。
あの「天と地のレクイエム」の演技!「花は咲く」にあった「癒し」よりも、もっと痛切な苦しみが切々と迫ってきた。鎮魂の質が変わっていた。生きた者たちが死者を悼むというより、死者になりかわり、というか死者そのものになって、地の底からわきあがる苦悶を表現していた。再生を希求しながらもそれに対する一抹の疑問すらさえ感じさせるものだった。「あなたたちはどこまでこの『苦しみ』を理解しているのか」という問いにも聞こえた。観ている側にも覚悟を促してくるような、そんな演技だった。「だった」と過去形を使ったけれど、彼にとっては常に今、現在進行形なんだろう。彼の想いの深さと強さを改めて思い知った気がした。過去にしてしまいたくないという想いを。死者の念を代弁する巫女を連想したのは、自然だったのかも。
ただコンペという形では、彼の想いを十全に表現する形では点数を稼ぐのは難しいのかもしれない。競技の宿命である。アーティスト羽生がこだわるのは、彼の内面を最大限表現できるスケーティング、内面吐露が点数を稼ぐという目的で「邪魔されない」そういうものなのではないだろうか。
世界選手権前に受けたインタビューで彼は怪我、手術という逆境にもかかわらず、なぜ出場にこだわるのかと問われて、「それは自分が現役スケーターだからです」と答えている。ここでの「スケーター」とはスポーツ選手としての自覚を表明したもの。競技で競うのが宿命であるという意味がこめられている。競技者である以上、その制約は逃れられない。この世界一聡明な選手らしい返答。ここには彼自身の自覚がみてとれる。と同時に、競技者の「限界」をも知ってしまったんだという印象もある。
点数を競うもの、「競技者」であるのがスケーターの宿命。彼の演技が他の選手と決定的に違うのが、その域に留まっていないこと。それを超えたアーティストとしての顔がみえる。芸術度の高さを追求しているのが判る。ただ、彼にとってはこの二律背反は、厳しいものに違いない。だから、プロに転向することで、すこしでもその域から「解放」されることを願っている。
「アーティスト羽生結弦」を観るのは、わたしたち観客にとっては至福のときになるだろう。彼とその時間を共有することは、一生の宝となるだろう。