先月東京に行った折に教文館でみたこの号、帰宅してからアマゾンで買った。ずっと保存したい特集号。
![芸術新潮 2014年 06月号 [雑誌] 芸術新潮 2014年 06月号 [雑誌]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41Zh2fgfnyL._SL160_.jpg)
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/05/24
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その美しさは決して近づきやすいものではない。華やかな美しさなら見る側の闘志を刺戟して、なんとか近づこうと、あるいは「征服」しようとするかもしれない。でも彼の美しさはそういう性質のものではない。優しさを纏っているようで、どこか拒絶している。近づくのは気後れしてしまう。見る側を僕にしてしまう。それでいてなんどもなんどもみたくなる。この拒絶と接近の距離感。
歌舞伎の写真(副題は「美しきものを見しひとは」)、昆劇のもの、太鼓の鼓童との『アマテラス』のもの、沖縄の「組踊」のもの、そして泉鏡花作品、『日本橋』、『天守物語』、『海神別荘』のものと続く。どれもが彼の演者としてのすごさを伝えるものである。それに、熊本の『八千代座』に立つ彼の写真も加わっている。彼こそこの伝統ある小屋復活の立役者なのだ。実際、山鹿に行った折に、玉三郎への感謝の言葉を町の人から聞いた。小屋の真ん中に凛と立つ玉三郎は小屋を背負っている感じがする。
「玉三郎の昨日・今日・明日」という船曳建夫さんとのインタビューはちょっと白けてしまった。玉三郎の隠れた部分を引き出すというより、船曳さんの我田引水的なインタビューの様相を呈していた。ひとり相撲だったのでは。でも玉三郎の「本質」のようなものが顕れなかったぶん、彼のもつ神秘性が際立ったのかもしれない。普通の切り方では彼に斬り込むことは不可能だというのがよく分かった。並の人間と芸術家との違いとでもいうべきか。
ひとつ良かったのは、玉三郎と歌右衛門との巷間での噂の実態が分かったこと。あの(「天皇」と呼ばれた)歌右衛門、彼の『壇浦兜軍記』の阿古屋を継ぐ役者として認めたのは玉三郎のみだったのだ。