yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

坂東玉三郎特別舞踊公演『春夏秋冬』@八千代座11月4日夜の部

舞踊がここまでの哲学的な内容と様態になるとは!いままでの常識を打ち破られた。玉三郎といえば、『楊貴妃』も実験的だったが、この『春夏秋冬』はそれを超えていた。

口上で玉三郎が「いろいろなものを脈絡なく入れた舞踊となっています」とおっしゃったので、もっと雑然としたものを想像したのだが、「雑然」は雑然でも、すべてひとつのコンテクストの中に収まっていた。それがどういえばいいのか、歌舞伎でもなく新舞踊でもなく、もちろん西洋的な舞踊でも京劇の舞踊でもなく、なんとも不思議な合成体で、それがおもしろくもあったのだけれど、単純におもしろがってもいららない観客へのある種の「挑戦」をも感じた。「あなたたちはこのラジカルな舞踊をどう捉えるのですか」と問いかけているような感じがあった。

そのコンテクストがとにかく知的だった!この舞踊をみた何人の人がこれを理解しただろうか。もちろん理解などする必要もなく、ただ楽しめばいいのだけれど、楽しむにはあまりにも内容がインテンシブで、そして「過剰」で、どこに照準を合わせていいのか分からない。合わせても次の舞踊がそれをすり抜けてしまう。かといって、たんなる混沌とした脈絡のなさではない。意味はたしかにある。その意味がコンテクストを形作っている。その意味を察することができれば、コンテクストの全体像も多少なりともみえてくるだろう。ポストモダン的に「意味なんてない。意味を探るのは無意味」なんていわないで。意味を知ろうとする欲求をみるものを強いてくる舞踊なのである。モダンなのだ。だから私も必死になって「意味」を探った。私なりにではあるけれど。

以下に、正確ではないものの大体の舞踊のあらましを挙げてみる。舞踊はタイトル通り、春夏秋冬の4部構成になっていた。夏と秋の間に幕間があった。踊り手は玉三郎以外は全員男性、舞台では3人から8人の男性との共演だった。


ここで印象的だったのは出雲のお国と名古屋 山三を思わせる舞。玉三郎がお国、男性踊り手が山三を演じた。この舞はすばらしかった!踊りと舞は違うのだけれど、その舞の神髄を魅せてくれた。共演するのは4人の男性踊り手で普通の裃の上下の上に女物小袖を羽織った「カブキもの」の出立ちで。


夏の背景。蛍が飛んでいる。時代は江戸か。そこに竹久夢二を思わせる美人(玉三郎)登場。バックには清元。学生服の若い青年登場。女との絡みがあって、女は夢二調の絵の中に消える。

男たち登場。長崎の龍踊り、南京玉すだれ、漫才などの滑稽なインターリュード。

軍服を着たさきほどの学生が登場。女も再登場。学生の出征を思わせるシーンと戦闘機の音。

山鹿灯籠を被った玉三郎登場。60人のおなじく灯籠を被った若い女性たちと踊り(「よへほ節」)の競演。


琵琶法師が舞台で琵琶を弾いている。玉三郎、白い着物に白袴という白拍子を思わせる衣裳で登場。髪も平安朝のおすべらかし。琵琶法師を誘惑しようとする白拍子。

なんとか白拍子を逃れた琵琶法師、今度は亡霊のような白いのっぺらぼうの面を被った7人の男たちに囲まれる。彼らは法師に経文を書いた打ち掛けを着せかける。

再び先ほどの軍服を着た男と女が登場。男はすでに死んでいて、これは亡霊。それが分かった女が嘆き悲しむ。


玉三郎、雪の中を白い着物 で舞う。幻想的。それを 白い羽を頭に付けた男七人が囲み共に舞う 天上界での連れ舞い。

この舞踊、『春夏秋冬』には、『平家物語』、「耳なし芳一」の怪談、『雨月物語』、『滝の白糸』(原作は泉鏡花)、そして三島由紀夫の『朱雀家の滅亡』(主人公の侯爵朱雀経隆は天皇家に琵琶奏者として仕えた)といった作品がアリュージョンとして使われている。それらの共通項、テーマは「死」だ。

そして、なによりも背景にすかして見えているのは三島由紀夫であり、泉鏡花である。そのキーは「戦死」「琵琶」、それに「白拍子(女芸人)」。振り付けの花柳壽輔(1931年生まれの80歳)のみならず玉三郎の三島へのオマージュの思いが強く込められているように思う。泉鏡花についてはいうまでもないだろう。玉三郎は何度も鏡花作品を演じているから。この三島と鏡花の二人をコンテクストとすることで、意味が立ち上がってくるに違いない。

それにしてもなんという知的ゲームを仕掛けているんだろう。

花柳壽輔を先ほどWikiで調べたら、案の定すごい方だった。市川猿之助の伴侶だった藤間紫と親しく、実験的舞踊を実践、宝塚の振り付けも担当といったように、日本舞踊の枠に収まらない舞踊家である。早稲田の大学院出身で古典舞踊の分野では並外れた経歴である。玉三郎は猿之助が倒れたあと、彼の弟子の面倒をみたとどこかで読んだけれど、文字通り澤瀉屋一門の後見人でもあったわけで、その点では壽輔と同志である。

八千代座は歴史がある分、そして明治期の芝居小屋の形を残している分「有機的」な劇空間を否が応でも創りだす。だからこの実験的な舞踊がかなりそぐわない感じはあった。どちらかといえばもっとも近代的な、無機的空間で演じて欲しかった。玉三郎としては観客と近い空間でこういうモダンな舞踊をやってみたかったのだろう。今までこの小屋が知らなかった新しい空間を導入するというのでは、たしかに大きな挑戦に違いない。でもおそらくほとんどの人がその意味を理解できなかったのではないだろうか。ちょっと残念な気がする。もう一度この『春夏秋冬』を観たいが、それは例えば新国立劇場といったようなどちらかといえば西洋的な舞台で観てみたい。そうなればおのずと観客も違ってくるはずだから。