yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ハウスメートとの生活はきつかった!

今日はペンシルバニア大学の大学院時代のハウスメートだったディオンヌと会ってお昼を食べ、彼女は仕事だったのでそのまま別れた。しばらく会っていない間に情報を埋め合わせなくてはならないところがいっぱいだった。最後に会った1年半前にちょうどドレクセル大学のカウンセリングセンターに移ったところで、現在もそのままだという。2年ごとに仕事先を変えていた彼女には珍しいこと。

彼女の出身大学はマウント・ホリヨーク大学というアメリカ屈指の超難関お嬢さん大学で、私が中高部を出た神戸女学院とは大学が姉妹校というご縁もあって、初対面から打ち解けた。彼女はジャマイカ出身、ニューヨーク育ちの移民で、フルスカラシップでマウント・ホリヨーク大に入学したというから、いかに優秀かが分かる。そのあとペンシルバニア大の社会学部で修士を修了したので、カウンセラーとしての学歴は申し分ない。それなのに、まったく欲がないというか、大学、大学院の同期がキャリアアップして出世しているのを横目に、組織・体制にしばられない自由気ままな生き方を選んでいる。

ハウスメートとしては私たちを除く三人(男性一人、女性二人)との同居だったのだけれど、モルモン教徒のアメリカ人のJという女の子とは私はどうしてもうまく行かなかった。体も大きな子だった上に態度もボッシイで、ジコチュウの塊、常に人に命令するという同居するにははなはだ難儀な性格をしていた。ある日ついに爆発して大げんかをしたのだが、ディオンヌがあとでそれを聞いて慰めてくれた。その女の子は情緒不安定で安定剤を飲んでいるのを、そのとき初めて知った。かといって同情はまったくしなかったけれど。この同居生活は大学院生活中でもっともツラカッタことのひとつで、それ以来、ハウスメート、ルームメートとの生活はあきらめた。だいたいがいい歳をして一つ屋根の下に他人と住むなんてことは、よほど我慢強い人間でなければつとまらないことを学習した。それからもずっと他人との同居生活をしているディオンヌにいわせると、Jほどひどい同居人はいないとのことである。でも今考えると、私もJに負けないほどのジコチュウのところはある訳で、彼女一人を悪者にするのはフェアでない気もするのだけれど。

ディオンヌに会うとそういったもろもろの小さなエピソードがどっと甦ってきて、懐かしいような、哀しいような甘酸っぱい気分になる。彼女はこの冬に日本に来るといっているので、それこそ彼女の好きな能をはじめとして(なんでも大学時代に日本から来た能楽師の舞台をみて感激したそうな)ぜひ大衆演劇の舞台にも引っ張って行こうと心づもりをしている。