アメリカのフィラデルフィアにいる元ハウスメートからメールが来て、夏にフィリーに行くなら彼女の家に泊まらないかという誘いだった。うれしくて飛び上がった。
最近引っ越して、以前に私たちがいた大きな家のすぐ近所のこれまた大きな家に下宿しているという。一昨年の冬にフィリーに行った時はダウンタウンの小さなアパート住まいだったので、私が転がり込むのは無理だった。二人が1999年から2001年まで他の下宿人3人と共同生活をしていた大きな家はペンシルバニア大学のあるウェストフィラデルフィア(ウェストフィリー)にあった。閑静な住宅街で大きなお屋敷が立ち並んでいたけど、私が大学に入った頃は荒れていた。それをアメリカ有数の金持ち大学の一つであるペンの大学当局が大学教職員や学生に住まわせるプロジェクトを立てて実践したおかげで、今は美しい街並をとりもどしつつある。もとの(貧しい)住民たちはそのために押し出されてより西へと移動して行き、資本主義の厳しい一面をみた気がしたものだ。
博士課程を修了して日本に帰国してからも、毎年夏1ヶ月はフィラデルフィアで暮らしていたのに、去年初めて帰らなかった。おかげでIT関連の遅れを多少は取り戻したけれど、やっぱり何か大事なものを忘れてきたような思いでここしばらく過ごしていた。その間、学会発表で2回ヨーロッパには行ったけれど、やっぱりいちばんしっくりくるのはアメリカなのだ。
8月にするか9月にするか思案中だけれど、図書館を使うことを考えるとやっぱりペン大の新学期が始まる9月がいいかもしれない。いずれにしても劇団花吹雪は8月は休み、9月は九州だしね。この間はみることができないんですから。でも橘大五郎さんはどうなのかな。関西に乗られるのなら、残念だけど。
一昨年までは大学院の時の仲間で一番仲良くしていた「Middle-Eastern Studies] の台湾人の男の子がいたのに、彼も職を得て帰国してしまった。でも大学教員をしているから、ひょっとして夏はフィリーに舞い戻ってくるかもしれない。アメリカの大学で2年教えていたのに、なんで帰国しちゃったんだろう。彼にはアメリカの方が水が合っているから、また舞い戻ることを考えているかもしれない。英語はネイティブ並み、Ph.D. も教授経験もあるのだから、引く手あまたのはずである。
みんなそれぞれの人生を歩んでいるのだから散り散りばらばらになるのは仕方ないし、歓迎すべきことなのだけれど、いつもいた人たちがそこに居ないのはとてつもなく淋しいものだ。失った時間は永遠に戻ってこないと思い知らされるからであり、同時に自分が終着点に向かっているのを止めることはできないと認識させられるからでもある。
この夏はいっときそれを忘れて、フィリーライフを満喫しなくちゃ!