yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

文楽公演の減少

今頃になって気づくのはまったく迂闊なはなしなのだが、文楽公演が減っている。私が仇のように通っていた1992年から1997年にかけて、たしか大阪日本橋の国立文楽劇場と東京の国立小劇場で交互に一ヶ月公演があったように記憶している。アメリカから帰国してからは文楽からも足が遠のいてしまっていた。道理で気づかなかったはずである。

いろいろ理由を推測して、思い当たることがあった。そういえば、吉田玉男さんはすでに亡くなっているのだ。私の好きだった呂大夫さんは私がアメリカにいた2000年に55歳で没しておられた。だから、そのお弟子さんの呂勢大夫さんは嶋大夫さんの門下に入られたんですね。4月の文楽劇場での公演に、吉田文雀さんはご病気で出演がなかった。吉田蓑助さんも病み上がりをおしての出演だったようである。

これに気づいたのが今朝のNHKの「にっぽんの芸能 芸能百花繚乱」だった。私が4月に文楽劇場で観劇した『碁太平記白石噺』の「新吉原揚屋の段」を放映していた。この段は「切」なので、もちろん嶋大夫さんの浄瑠璃である。世話物を語らせたら嶋大夫さんの右にでるものはない。それは以前にブログ記事に書いた通りである。ただ、かなり以前に比べるとずいぶんと痩せられ、若干か弱い感じがした。もちろん語りそのものは以前のままで、嫋々とした名調子だった。

文楽は歌舞伎のような世襲制をとらず、国立の養成機関を卒業した人にもチャンスを与えるという非常に「民主的」な方針で運営されている。養成機関を卒業してプロになった人も多く、若手は着実に育って生きている。しかし芸道の厳しさは他の伝統演劇と同じかそれ以上である。「一人前」になるのには長い年月が必要なのだ。だから、国宝のあるいは国宝級の大夫、人形遣いが亡くなったり病気だったりで出演が難しいということで、文楽公演が減ってしまったのではないだろうか。もちろん、これは私の勝手な推量であり、まちがっているかもしれない。

『碁太平記白石噺』、おのぶの蓑助さんも宮城野の豊松清十郎さんもその人形遣いぶりは繊細かつ優美だった。そして、はたと気づいた。今しっかりとみておかないと、大夫さんも人形遣いさんもこのままということはありえないのだと。

吉田玉男さんをもっとみておけばよかったと悔いが残っている。立ちの勇壮な武者を演じるのに、彼ほど鬼気迫る遣い手はいなかった。その玉男さん、劇場を一歩出ると柔和なジェントルマンだった。東京の国立小劇場から地下鉄半蔵門駅まで、玉男さんがお客さんと話しながら向かうのに2回出くわしたことがある。庶民的で優しい、すてきな方だった。