yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

三島由紀夫と演劇論

昨日は三島を偲ぶといいながら、お芝居を観に行っていた。本来なら三島が好きだった歌舞伎ということになるのだろうけれど。最近の歌舞伎、みる気がしない。そういえば成田屋の事件、歌舞伎界の現況を象徴しているのでは。歌舞伎がもつ本来のマグマのようなパワーがあまりにも体制化することで抑圧され、それが迸出するとあのような形になるのかもしれない。

三島由紀夫がスゴイ人だと分かったのは彼の小説からではない。彼の歌舞伎論がそれまでに読んだものとはまったく違った視点からの分析だったからである。あえていうならば「美とはなにか」という命題を軸にしたもので、その分析手法たるや書き手の並外れた知性を窺い知ることのできるものだったからである。それでいて、その軸は縦(垂直)方向にのみ伸びたものではなく、歴史の時間軸を組み込んで水平方向にも伸びていた。彼の「勉強」の痕跡が残っていた。江戸時代からの「役者(歌舞伎)評判記」のようなものも収集していたのではないだろうか。彼自身、若い頃には「芝居日記」なるものを書いていた。書物になったのをペンシルバニア大学の図書館で読んだ。

若い頃から演劇活動にも参加していた。文学座の分裂の折にも当時者だった。また自作『鹿鳴館』等の芝居では演出にも参加していた。晩年には国立劇場の理事もしていた。これらすべて、彼自身望んだことではなかったにせよ。

六世中村歌右衛門をモデルにした短編小説、「女形」を書いたところから、彼が歌右衛門に対しては特別な関心を抱いていたのは間違いない。とはいうものの、彼の弁によると実際に対面したのは大分後になってのことらしい。以下「六世中村歌右衛門序説」からの引用である。普通の役者評とは一線を画する三島らしいオマージュである。

世間でよくそう評されるように、丈(歌右衛門)の舞台の美が、現代の醜悪さの埋め合わせをし、丈の姿が現代にかけている古典的形姿をひとり代表して、それで以って現代に補いをつけているというのではない。むしろそれとは逆に、丈の俳優としての美の一切は、現代というものの虚相、現代が必然的に担っている大きな暗澹たる欠如の相そのものを、代表しているように思われる。
(中略)
  かりに私が、昼間の銀座街頭を散策して、現代の雑多な現象に目を奪われ(略)ようやく劇場の前に達して、外光に馴れた目を一旦場内の薄闇に涵し、むこうに広がる光りかがやく舞台の上に、たとえばそれが「娘道成寺」の一幕ででもあって、ただひとり踊り抜く歌右衛門の姿を突然見たとする。このとき私の感じるのは、時代からとりのこされた一人の古典的な俳優の姿ではなくて、むしろ今しがたまで耳目を占めてきた雑然たる現代の午さがりの光景を、ここに昼の只中の夜があって、その夜の中心部で、一人の美しい俳優が、一種の呪術のごとこものを施しつつ、引き絞って一点に収斂させている姿である。劇場外の社会の昼間のあらゆる雑駁さが、この一点に統制されて、手綱を捌かれているというふうにさえ思われる。かかるネガティヴな代表者、現代という時代のこの最も暗黒な美の代表者、それが現代を代表する仕方は、いかにもわれわれが俗に「暗黒面」と呼びなすような、悪の執り行う方法に似ているのである。(原文は旧仮名遣い)

つまり、歌右衛門は現代の「ブラックホール」を表象する役者であるというのだ。この「昼の只中の夜」という表現に衝撃をうけた。このレトリック、修辞法に撃たれた。これが彼のイメージしていたいわば理想の歌舞伎の姿だったのではないだろうか。晩年の彼は歌舞伎に興味を失っていたが、その理由もこれを読めば推察できるような気がする。

彼の演劇論はすべて秀逸で、何人も超えれない。

劇評のみならず、彼の批評は深い。なによりも耽美的である。それでいて分析的でもある。本棚から批評集のいくつかを引っ張り出してきて再読し、あらためてそう思う。