yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

アイザック・ニュートンと啓蒙主義 (Enlightenment)

昨日の読書会はニュートンだった。

例のりんごの逸話で有名な万有引力の法則の発見者としてしか知らなかったので、彼が近代科学の祖であり、また思想家としても後のロック、ヒュームの経験論、実証主義思想の礎を築いたという内容のレクチャーは驚きだった。

前回ヒュームだったのだが、一緒にやっている哲学の先生が私が経験論の思考が「理解」できないのを見て取られて、ニュートンまで遡ることになったのである。たしかに私の思考法の歪みを矯正するチャンスかもしれない。

ニュートン万有引力以外のさまざまな「発見」――ニュートン力学、光学、微積分法――が近代科学史の中で最も大きな事件、転換点になったというのも、恥ずかしながら知らなかった。数学でニュートンの名前が良く出てくるなとは感じていたが、「偉人」だから当然と思う程度で、それ以上深くは考えたことはなかった。

ニュートンの功績はそれのみではない。ヨーロッパを席巻していたアリストテレス哲学を根本的に覆したのである。結論を設定して証明する演繹法を覆し、例証をつみあげるという科学的アプローチ(帰納法)によって結論を導き出す方法を揺るがないものにしたのだ。それが大陸で主流だった観念論を排して、科学的手法で思考を積み上げる方法を後に続くフランシス・ベーコン、ロック、ヒュームに採らせるきっかけを作ったのである。

彼の代表作『自然科学の数学的諸原理』(通称『プリンキピア』)はひとつの革命的事件だった。それは彼に遡るライプニッツガリレオなどの理論を組み込んだものでもあり、これによって過去と未来が一つの線で繋がったわけである。

彼が歴史に残る発見をしたのがケンブリッジ大、トリニティカレッジの学生だった時ペストを逃れて故郷に引っ込んでいた18ヶ月の期間だったこと、そしてそれを持ち帰って数学の指導教授(数学史に残る大教授、バローズ)に見せたところ、ニュートンの天才をみてとったバローズは直ちに学部長を辞しニュートンに譲ったという逸話、これらすべてとても面白い。また、天体の運動を解明していながら、入れる数字を間違えたために証明できずにいて、その文書をそのまま引き出しに放り込んでおいたところ、何十年も後になって彼の名声を聞いてやってきた学者によって間違った数字を正されて「発見」に至ったという逸話も、ニュートンの人となりが表れているようである。

生涯独身を通したということだけど、晩年は錬金術に凝っていたと事実も、ニュートンの凡人ではないなにか神がかり的な面が推し量られる。

授業でYoutubeに登録されているアメリカのUCLAのレクチャー中から好きな講義を学生に選ばせ視聴させているが、学生の一人が選んだ「ニューロサイエンス」の講義にも、別の学生が選んだ「近現代文明史:1750年から現在」にも、ニュートンに始まる帰納法的アプローチへの言及、啓蒙主義の始祖としてのニュートンへの言及があり何か因縁めいたものを感じた。

来週はロックをやることになる。当分Enlightenmentと付き合うことになりそうである。実際にEnlightenされればいいのだけれど。