yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

羽田昶著『昭和の能楽名人列伝』(淡交社、2017年3月刊)

紀伊国屋書店のサイトをリンクしておく。

www.kinokuniya.co.jp

こちらはamazon掲載の「解説」。

今や語りぐさ、伝説となりつつある能楽の昭和の名人といわれる人を取り上げ、能楽において、昭和という時代にどのような人々がどのように活躍したかを資料と実見から掘り下げて紹介します。シテ方を中心に、ワキ方・狂言方・囃子方(笛・小鼓・大鼓・太鼓)30余名を人物ごとに取り上げます。

シテ方:

初世梅若万三郎・二世梅若実・観世華雪・松本長・野口兼資・一四世喜多六平太能心・近藤乾三・櫻間弓川・初世金剛巌・櫻間道雄・豊嶋弥左衛門・後藤得三・喜多実・五五世梅若六郎・高橋進・松本惠雄・三川泉・友枝喜久夫・粟谷菊生・観世寿夫・八世観世銕之亟・片山幽雪

ワキ方:

宝生新、狂言方:善竹弥五郎・三世山本東次郎・六世野村万蔵・九世三宅藤九郎・三世茂山千作・四世茂山千作

 囃子方:

川崎九淵・幸祥光・藤田大五郎・二二世金春惣右衛門

最近になって能・狂言を身始めた私には、ここに取り上げられている能楽師の方々、直接は知らない方ばかり。もう5、6年ばかり早く興味を持っていれば、何人かの方には出逢えた?

羽田氏ご自身も、総勢三十三名中十人の演者はご覧になってはいないとのこと。それでもあえてこの本を上梓された勇気を称えたい。ありがとうございます。

なんと生き生きと能楽師のお一人一人が立ち上がってくることか!まるでそこにいるかのように。単に「解説」であるようでいて、それだけではない。一歩も二歩もそれぞれの舞台に踏み込んでの解説がなされている。パッと目の前にその舞台が広がるような感を何度も持った。よほど能の舞台がお好きなんだろうと思った。

「名人」と謳っているだけあり、文字通りの名人の集成。どの方も見ていないのが、口惜しい。行間から、彼らがどれほど素晴らしかったかが伝わるから。特に大戦後の大変な時期に、多くの名人が輩出したのがわかる。明治の新体制のときもそうだったのだけど、歴史的変化があるときは、危機感が募ることもあって、優れた演者が多く出るのかもしれない。

私が何度も、何度も読んだのが「梅若六郎」の章。この「梅若六郎」師は現梅若実師のお父上の五十五世。DVDになった『隅田川』、『卒塔婆小町』、それに『松虫』を見ている。羽田氏の以下の記述に、思わず膝を打った。

梅若六郎は、青年時代から繊細で流麗な芸風で人気を博してきた。まれに見るほど秀でた容姿と美声に恵まれ、繊巧華麗な舞の魅力は終生変わらなかった。

(略)

六郎はこのように良き師と環境に恵まれたのだが、自己の資質として、父や伯父よりも近代的で端麗な芸風を築いた人といえる。

 謡の巧さは抜群であった。父譲りの、少し含み声の、流麗で艶やかな美声である。ただし父(二世梅若実)はリズムと力で押してくる劇的な謡、六郎はメロディカルで音楽的な謡、といえる。力が横溢するようなエネルギッシュな感じではなく、華麗だけれど冷静な、行儀の良い謡であふ。その意味でいわゆる梅若風の優美な芸を最も代表する。

六郎師の『松虫』には衝撃を受けた。奥に貯められた息がじんわりと外へ出てくる。空気を震わせる微妙な音程。倍音のかかった声が、えもいわれない神秘的な雰囲気を醸し出す。それは哀しい思いをかきたてたると同時に、それを解放するような軽やかさも備えている。そのバランスがなんとも絶妙。この舞台に永遠に浸っていたい欲望にかられる。

いくら名人を偲んでも、彼らの舞台を実際に見ることは叶わない。その彼らが目の前に立っている、そんな感じを引き出す羽田氏のこの著書。羽田氏がこういう試みをされたことを、心よりありがたく思う。