yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

五十五世梅若六郎師の能『卒都婆小町 一度之次第』1967年2月23日放送(NHK能楽名演集DVD)

この『卒都婆小町』と『松虫』がセットになって入ったDVD。いずれもが「名演」なんていうシンプルな表現を超えた力のある舞台。

『卒都婆小町』は1967年2月に放映されたもの。まず、よろよろと登場した老女のさまに品格がある。みすぼらしい風態なのだけど、身体の運び方に往時の面影を偲ばせるものがある。自ずと滲み出た感じにしなくてはならないのだろうけど、それが完璧だった。声は他の演目のときの六郎師のものとはまるで違って、しゃがれたもの。でもしゃがれた中に、なんともいえない深みがあるのはやっぱり六郎師のもの。

僧との論争場面も単に意地を張っているというのではなく、かっては並々ならない教養を身につけた人だったことがわかる。僧をやりこめたそれまでの強気が一転、現在の我がさまを恥じるところの心の裡の嘆きが自ずと表出してくる場面が、しみじみと哀しい。老齢というだけではなく、物乞いのためのズタ袋を下げた外見の哀れさ。かっては美貌で鳴らした小町を、時間という抗いがたいものがかくまでみすぼらしくしてしまった。作者の詠嘆が小町を包み込む。見ている側もそれに共振させられる。この強気と弱気の相克が、「小町」を複雑な人物に造型している。これはみごと。この部分を抽出して、三島由紀夫は「近代能楽集」中の小町を造形したのだろう。

後半部、深草少将の霊が取り憑いて錯乱する場面は、物の怪が付いたというようりも、自己の改悛の想いが霊となって表われ出たという風。僧を打ち負かすほどの強気が、その昔深草少将の恋情をはねつけた原因であった。己のどうしようもない性、その性への怒り、自責の念がほとばしり出て、それが深草少将の霊という形で持って己を罰する。内にこもった複雑な想いが、派手な動きではなく、抑圧された、押さえ込まれた所作になって出ている。こういうのが他の演芸が能に敵わないところ。

以下に演者一覧を。

シテ 梅若六郎
ワキ 松本謙三
ワキツレ 宝生彰彦
笛  藤田大五郎
小鼓 北村一郎
大鼓 亀井俊雄
後見 梅若景英 山崎英太郎 木村薫哉
地謡 地頭・梅若泰之 副地頭・平井宗一郎
松山長昭・小笹敬長・井上基太郎・小野原弘明・高橋甫治・平井和夫

松本謙三、藤田大五郎、亀井俊雄各師はのちに人間国宝。この放送は梅若六郎師が芸術院会員に就任した記念という。彼こそ、人間国宝にふさわしいけれど、それを待たずに没してしまわれた。無念。北村一郎師も人間国宝になって当然だった。

「後見 梅若景英」]とあるのは梅若玄祥改め梅若実師。まだ髪がフサフサだったんだなんて、変なところに感動してしまった。