yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『砧』in 「達磨会」@大槻能楽堂4月29日

演者と概要(銕仙会能楽事典より)は以下。

演者
シテ 大槻文蔵
ツレ 味方玄
ワキ 福王茂十郎
間  善竹忠一郎

大鼓 谷口正壽
小鼓 松久素子
太鼓 三島元太郎
笛  杉市和

後見 赤松禎友  梅若猶義
地謡 今村哲朗 林本大 梅若基徳 分林道治 山崎正道 山本博
   浅井文義 梅若玄祥

概要
訴訟のため都へ上っていた芦屋の某(ワキ)は、三年目の秋、年末には必ず帰郷するという伝言を侍女の夕霧(ツレ)に託す。故郷へ下った夕霧は某の奥方(シテ)のもとへ向かうが、奥方は寂しい日々を嘆くばかりであった。やがて、遠くで里人の打つ砧の音を聞いた奥方は、「夫を思う妻の打った砧の音が、遙か遠く離れた夫のもとへ届いた」という中国の蘇武の故事を思い出し、慰みに自らも砧を打ち、感傷にひたる。しかし、再度の使者が来て、某は年末にも帰らないと告げられ、奥方は絶望し亡くなってしまう。妻の訃報を聞いた某(後ワキ)が急いで帰郷し、弔っていると、奥方の亡霊(後シテ)が現れて夫の不実を責めるが、やがて法華経の功徳によって奥方は成仏するのであった。

世阿弥作。現在能と複式夢幻能とを合わせたような形を採る。時系列的には現在から未来へとつながっているので、どちらかというと現在能に近いのかも。

上の「概要」よりも詳しい内容解説があったのでリンクしておく。

三年間も都に出かけて留守をしている夫。その帰りを待ちわびている妻。そこに夫に連れ立って都に行ったきりの侍女の夕霧が、夫の伝言を持って帰ってくる。それは「年末に帰る」というものだった。納得できず、嘆く妻。大槻文蔵師のシテ、この嘆きの様をベタベタ感少なめに演じる。でも夕霧に砧を出させるあたりから、奥深い嘆きが表面に現われ始める。それがクライマックスに達するのが、夫の家来がもたらした夫からの伝言、「この暮にも帰れなくなったという知らせ」だった。遂には悲嘆のあまり亡くなってしまう。

詞章を、観劇前に読んでおくべきだったと後悔した。というのも、ストーリー転回の裏に穏やかでない「何か」を感じてしまったから。それは味方玄さんが演じたツレが醸し出しているもの。違和感とでもいうべきもの。侍女役の玄さんと妻役の文蔵師との絡みに、何かただならない雰囲気を感じた。これは玄さんの優れた作品解釈が表れていたからだろう。さすがですね、味方玄さん。

夫について都に行った侍女。三年間の間音沙汰なしだったのは、彼女が夫と関係があったから。妻に詰られて、言い訳をする侍女。そこから妻もそれを知っていて、彼女の「音信不通」を詰ったことが仄めかされている。この二人がともに砧を打つ時の、曰く言いがたい緊張感。その理由を臆測すべきだった。己の鈍さを嗤う。注釈を読むまで、行間が読めなかったんですからね。

家来が持ってきた夫からの伝言も、侍女がニュアンスを変えて妻に伝達した。つまり、「(多少の遅れがあっても、)必ず帰る」という夫の主旨を伝えなかったのではないかという「読みこみ」も可能だとのこと。味方玄さんが醸し出すあの違和感はそれを表していたのかもしれない。

大槻文蔵師はオン歳74歳。能役者としての存在感は半端ない。その文蔵師と張り合うだけの力の持ち主、味方玄さん。理知的な感じの方だけど、情念を描いて(演じて)秀逸だった。しかもこういう会でも裏方に回られ、気を抜かずに演じられているのがひしひしと伝わってきて、感動した。