yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「棒しばり(ぼうしばり)」新春浅草歌舞伎@浅草公会堂1月12日第二部

歌舞伎サイトからの演者、あらすじ情報は以下。

岡村柿紅 作
<配役>
次郎冠者   尾上 松也
曽根松兵衛  中村 隼人
太郎冠者    坂東 巳之助

<みどころ>
『棒しばり』では、両手を縛られた次郎冠者と太郎冠者の軽快で息の合った踊りをご覧に入れます。狂言を基にした、おかし味あふれる舞台を最後までお楽しみください。

能から採られた松羽目物。2015年に勘九郎の次郎冠者、巳之助の太郎冠者、そして彌十郎の曽根松兵衛での「棒しばり」を歌舞伎座で見ている。このときは「十世坂東三津五郎に捧ぐ」という詞書が付いていた。いうまでもなく、勘九郎、巳之助それぞれの父である、勘三郎三津五郎が二人してよく演じていたもの。このブログ記事にもしている

そこにも書いたけれど、「両手をしばられた次郎冠者と太郎冠者が、互いに協力をして酒蔵に忍び込んで酒を飲み交わし、自由に踊ってみせるという趣向」が最大の見せ場になっている。初演時に次郎冠者を演じた六世菊五郎と太郎冠者を演じた七世三津五郎は二人揃って踊りの名手だったからこそ、成立した演目。2015年私が見たものも、その所縁が明確に示されていた。勘三郎は六世菊五郎の孫だし、三津五郎も七世三津五郎の曽孫。今回は松也が音羽屋からの代表(?)で、巳之助は父の衣鉢を継いでのもの。

今回はすべての登場人物が花形。勢いがあった。巳之助は勘九郎と踊ったときも滑稽ではあったのだけど、今回の松也との方がずっとおかしみが増していた。曲芸もどきの魅せ場をより強調していたように思う。これだけアクロバティックな動きが多いと踊りが心配になるけど、その心配無用。絶対に矩は外さない。家元の名に恥じない正統派の舞踊。安定感がある。それでいてやっぱりおかしいのは、彼の個性によるのだろう。素敵な個性で、潰されて欲しくない。

松也もぶっ飛ぶ一歩手前まで弾けていたけれど、こちらも決めどころを外していなかった。見かけよりも稽古をかなり積んだのではないかと思う出来。感心した。松也は以前に見たときより、ずっと成熟した感じ。彼には軽さがいつもつきまとっているように感じていたけど(それはそれで悪くはないのだけど)、この浅草はreservedな佇まいに終始していた。それが責任重い若手の「長」役だったからからなのか、彼自身の内面の変化なのか。その両方が原因なのかもしれない。演技に深みが出てきていたように感じた。

二人を戒めるはずの曽根松兵衛役の隼人も、この清新な組み合わせをより強調していた。わけ知った年長の長者という感じではなく、遊び友達同士っていう雰囲気。若い人同士のじゃれ合う感じも出ていた。これは批判されるのかもしれないけど、こういう解釈もアリだと思う。とにかく若い人ばかりでやりあう舞台は見ているだけで、パワーをもらえる。

楽しい組み合わせ。この組み合わせでまた見て見たい。