yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「模写の系譜 −入江波光と林司馬−」

今朝、MBS「美の京都遺産」で放映された林司馬画伯の特集をみた。大覚寺障壁画の模写を担当したという。「模写をすることは単に写すというのではなく、書いた人の心に沿って、それを再現する努力をすること」ということばに心動かされ、さっそく「模写の系譜 −入江波光と林司馬−」と銘打った京都芸大資料館に彼の絵を見に行って来た。

資料展の案内は以下。

京都市立芸術大学芸術資料館では,本学における教育活動の中で収集された資料を5期に分けて紹介する収蔵品展「歴史の贈り物」を開催中です。第2期は,下記の日程で「模写の系譜 −入江波光と林司馬−」を開催します。
 京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)一期生である入江波光(1887-1948)は,昭和15(1940)年に始まった法隆寺金堂壁画模写事業に参加し,京都における模写の第一人者として知られています。原画の上に薄い紙を載せて描く「上げ写し」と呼ばれる方法による,入江の精緻な模写は原画の風韻をよく伝えています。入江から模写の指導を受けた林司馬(1906-1985)は,入江とともに法隆寺金堂壁画模写事業に参加しました。当館が所蔵する二人の模写資料を紹介します。

絵画そのものの展示数は多くなかった。林司馬のみではなく、松井大浩、橋本順忠、田能村直入などの画家の模写作品が展示されていた。入室してすぐの「牡丹図」は林司馬のものと吉田友一のものが二点並べての展示。林模写は吉田模写ともに1943年作。もとの絵は宗代の画家、銭選のもの。いずれも甲乙付け難いみごとさだった。牡丹の薄ピンクの花弁も鮮やか、質感も十分だった。模写した当時の絵自体の線のかすれ、かすかなしみなどの「劣化」も描き込んであった。林作品の方が花のぼってりとした量感で、妖艶な感じだった。実際の絵はどうだったんだろう。そのすぐ右隣りにもこの二人の模写作品が並べてあった。於子明作の「蓮花図」の模写。こちらも林作品の方が蓮の葉の色の濃淡がくっきりとしているためより立体的な感じがした。もとの絵はそれぞれ異なってはいるけど、同じ画家のものなので、模写する人の解釈が入ってくるのだと、興味深かった。

あと、勇壮な龍図、虎図があり(模写者不明)、こちらは水墨画だったと思われる。豪快で元の絵の力強さが甦ったようだった。こういう風に模写した人が不明ということもあるんだと、なにか報われないようなやるせないような気がしてしまう。模写が非常に重要な仕事であるのは、十分に分かっていても、やはり視る側にはどこかに軽んじる意識があるのかも。

「優れた画家は過去の優れた絵画作品を模写して力をつける」と読んだことがある。ルーブル美術館等の素晴らしいコレクションをもつ美術館には、後に有名になった画家達が模写に通ったとか。

「模写」という作業にどういう芸術の分野であれ、必然を感じる。たとえば文学なら有名な作家の文章をなぞって文章力をつけるとか。文学作品には過去のものの(コピーといわないまでも)コラージュの断片を見いだすことは可能なのかもしれない。

そんなことを考えていたら、帰りの道中、三島の『憂国』の盗作をした韓国の有名作家がいるというネットニュースに出くわした。これは「模写」とは違った犯罪でしょう。そういえば日本のアカデミアにも論文剽窃が横行しているとか。小保方事件以来、多少はあぶりだされているらしいけど、日本のトップ大学でこんな体たらくですからね。アメリカなら即首ですよ。話がそれてしまいました、失礼!