yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

彩の国シェイクスピア・シリーズ『お気に召すまま』DVD

2004年の公演のビデオ版。

演出
蜷川幸雄

主な配役
オーランドー       小栗旬
前侯爵の娘ロザリンド   成宮寛貴
侯爵の娘シーリア     月川勇気(悠貴)
シルヴィアス       大石継太
前侯爵          吉田鋼太郎
前公爵の臣下ジェイクイズ 高橋洋
タッチストーン      菅野菜保之

主演の二人、小栗旬、成宮寛貴を除いてはすべて蜷川舞台の常連ばかり。その中でこの二人、よく健闘していた。小栗は第一幕第一場ではあまりにも気張ってしゃべるのと、その早口が耳障りだったが、徐々に肩の力が抜けてきた。この人、案外緊張屋なのかもしれない。以前に梅田芸劇でみた新感線の『髑髏城の七人』での発声もよくなかったが、それよりはいくぶんかマシ。髑髏の方があとなんだけど。それになんといってもシェイクスピアのこの芝居、難しい、およそ日本語にそぐわない文章の台詞をものにしなくてはならず、その点を鑑みると及第点だろう。

半年以上前に購入したビデオだけど、小栗旬の出来が気に入らなくて、第一幕第一場で頓挫し放置していた。時間ができたら観るつもりだったので、今日なんとか見終えた。やっぱり第一場は苦しかったが、第二場はもろにツボだった。成宮寛貴のロザリンド、月川勇気のシーリア、二人の女装がカワイクてオカシクて、それだけでもあと見つづける気になったから。シェイクスピアのオリジナル劇では女性役を男性が演じたので、まさにその「再現」。蜷川、ニクイ!この「彩の国さいたま芸術劇場大ホール公演」を2004年8月11日に観た方のブログ記事をここにリンクしておく。

ご本人曰く、「今まででいちばんよい出来」のこの記事、まさにその通り。この方は成宮君のファンのようで、その点は私とは違うけど。ファンなのに「欲目」がないところがステキ。そのレポートによると、観客は女性が多かったようで、腐女子度が高かったのでは。成宮寛貴はおよそそのテイストからは外れると思っていたのだけど、案外そうでもなかったのかも。月川勇気は可憐な少女にしかみえなかった。二人がいちゃいちゃ会話するところ、最高。

叔父の侯爵に追い出されたロザリンドと、彼女に同伴してきたシーリアと二人の逃避行のサマもよくできていた。とくにロザリンドの「男装」。これは演技というより、さきほどのブログ記事にも挙げてあった点でだけど。つまり男の成宮寛貴がロザリンド(女)役で、その「男装」のロザリンドが「無理をして」(男っぽい声音と振る舞いで)なんとか男を演じようとするところ、まさにツボ。男装のロザリンドがアホが2、3個つくほど、オーランドーに首ったけで、オーランドーとの会話ではテンションが上がって、自身が「男」であることをつい忘れてしまう。ここはたしかに成宮ファンでなくとも「胸キュン」。

シェイクスピア劇にはジェンダー交換というか、「女を演じている男」が男の振りをするという、二重写しのジェンダーの取り替えがあるのだと、遅まきながら気づいた。歌舞伎にも通じるアヤシイ「魅力」があることを発見。これを演出した蜷川に脱帽した。そういやシェイクスピアのソネットの多くは若い男性に贈られているんですよね。

小栗旬のオーランドー、さっきのブログでさんざんこきおろされていたけど、同感。オーランドーを「バカ」、「鈍感」とこきおろしているのは、そのまま小栗旬にもあてはまる。「なに気取ってんだよ!」とつっこみたくなるところ、満載。

成宮寛貴は小栗旬よりも発声に無理がなかった。それでもどこかぎこちなさが残ったが、それもご愛嬌。この難しい役をやりおおせたことはアッパレ。案外、シェイクスピアに向いているのかもしれない。最後の森の中での結婚式の場面、なんといってもモーレツにカワイカッタ。女性というより中性に近いけど。それがまた魅力。さきほどのブログの方がメロメロなのも頷ける。

シーリアの月川勇気は小さな声のときも発声はきちんとしていた。自然体で演じている感じ。このあとも「女形」で蜷川シェイクスピアに出ているようで、彼以上のキャスティングは難しいかもしれない。

前侯爵役の吉田鋼太郎はDVD版の蜷川『ムサシ』にも出ているのを観たが、際立った存在感。 

道化(fool) 役の菅野菜保之、シェイクスピア劇でもっとも難しい役どころのこの役を違和感なく演じて、秀逸だった。

ジェイクイズ役の高橋洋の知的な、研鑽を積んだと思われる演技にも感心した。蜷川シェイクスピアが成功したと評価されているのは、こういう実力派役者の力が大きい。そして何よりも小難しい、理屈っぽい台詞をなんとか日本語に置き換えようとしたその努力の所以だろう。それでもまだまだ不自然さが残ってはいたけれど。思い切って簡略化し、日本語の自然な台詞にしまっても良かったのでは。

そして演出の斬新さ。古典としてのシェイクスピアに忠実でありつつ、斬新さを追求しているところ。そして話題性のある若い俳優を中心に据え、彼らを上手く機能させるのに脇をベテランで固めたこと。華と実とを兼ね備えた舞台を追求したこと。

それにしてもシェイクスピアの脚本、本当に良く出来ている。近松のホンもよくできているが、シェイクスピアの複雑さには及ばない。本プロットにサブを幾つも組み合わせ、それらが一つの整合性をもって立ち上がるよう、実にうまく工夫されている。フェアではないと知りつつも先日の『空ヲ刻ム者』と比較してしまう。

舞台装置も斬新だった。非常に簡素だったのも良かった。上手、下手の舞台袖ではなく、客席の左右二本の通路を役者の登・退場に使っていたのは、観客を巻き込む手法として有効だった。

森の中の羊飼いと道化の会話の場面で、ほんものの羊を使っていた!お客さん大喜び。こういう演出も心憎い。また主人公たちの恋愛と羊飼いのそれとをダブルとして対比させているところなど、いかにもシェイクスピア。楽しい工夫がいっぱい。

最後にもう一つネット記事をリンクしておく。
「女子禁制!美しすぎる男達の世界「蜷川幸雄×シェイクスピア」オールメールシリーズとそのキャスト」