今頃になって時差ボケがでてきたようで(こういうとき年齢を感じてしまう)、観劇中に居眠りをする可能性があるので、今日はコレだけを観た。これで8400円も払うのはちょっとモッタイナイ気もしたけれど、それだけの値打ちのある舞台だった。入り口に「一幕見」の案内があったので、これでもよかったのにとチョット後悔。松竹座もそういう観客フレンドリーな計らいを始めたのですね。
二番目の演目が「勧進帳」という、いかにも「成田屋」というものに対して、こちらはいかにも「澤瀉屋」といった風のもので、この二つの家が「激突」ならぬ競争をしているところをとっくりと見物できたのは、予想外の収穫だった。結果は問題なく「澤瀉屋」の勝ち。3日前に観たときに、海老蔵の弁慶にがっかりした。團十郎、幸四郎、吉右衛門といった彼の先輩たちの弁慶はそれぞれに特徴があって、それでいてどこか共通点があったのだけれど、海老蔵のものはそこが曖昧だった。
『幸助餅』と『悪太郎』での市川右近の演技に感銘を受けたので、この『西遊記』も面白いのは間違いないと予想していたが、それをまったく裏切らない舞台だった。これは「猿之助歌舞伎」の一つのようで、彼自身が演出しているので、彼の歌舞伎の理解、歌舞伎への思いが余すところなく出ていた。以前にはおそらく私の感性があまりにも未熟だったために理解できなかった猿之助のラディカルさが、ようやく分かった心地である。彼の既成の伝統歌舞伎への「挑戦」は文句なしにすばらしい!それがこんどの成田屋との競演で証明されている。スタティックな伝統の中に風穴を開けるという、ドンキホーテ的な挑戦を猿之助はずっとやり続けていたのである。そしてそれはみごとに実を結んだ。 この『西遊記』も随所に猿之助ならではの工夫が凝らされている。だから退屈しない。
「猿之助歌舞伎」の特徴は「ストーリー」、「スピード」、「スペクタクル」だそうで、この「スリーS」はこの『西遊記』に見事に結実していた。 孫悟空の右近、西梁国女王の笑三郎、その妹役の春猿、三蔵法師の笑也と、重要な役どころはすべて澤瀉屋で演じていたのだが、このチームワーク、そしてサービス精神に感動した。彼らが歌舞伎役者特有のステレオタイプからの逸脱を志向しているのが分かった。「松竹新喜劇」とも「劇団新感線」などとの共通点が多くみられた。それはそういう演劇の「真似」をしていたというのではなく、演劇が時代に合った方向を模索するならば必ずややそうなるであろう帰結だから。歌舞伎が従来の「伝統」の中に安住する限り、新境地は拓けない。猿之助がそういう古い歌舞伎からの脱皮に真剣に取り組んできた結果を、この舞台に確認できた。 それにしてもよい後継者たちに恵まれていますね、猿之助さんは。