yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「美空ひばりx三島由紀夫x猿之助」@BSフジ 9月17日

先日、BSフジで「美空ひばり特集」をやっていた。運良く、途中から見ることができた。彼女の生まれた5月とか彼女が亡くなった6月とかではなく、意外な時期だったので、ぬかっていた。

私の頓挫したプロジェクトの一つが「美空ひばり論」を本にすること。それは、ペンシルベニア大学の博士コースの学生だったときに遡る。その頃三島由紀夫の演劇で博士論文を書いている最中だった。三島関連の文献を当たっているうちに、美空ひばりと彼との接点に行き当たった。「三島由紀夫全集」のどの巻かについていた(あれなんていうんでしょう?)「チラシ解説」によってだった。中村メイコさんが三島にひばりさんを紹介したときのエピソード。三島は直立不動の体勢で、礼儀正しくひばりさんに挨拶したとか。その場に居合わせたかのような錯覚がするほど、メイコさんの話には臨場感があった。このBSフジ番組で、メイコさんはそのときの様子をもっと詳しく語っておられた。川口松太郎さんへの言及まで含めて。三島の人となりが偲ばれるエピソード。またひばりさんのキャラもよくわかる。メイコさんに感謝!

私の「幻のプロジェクト」になってしまった「美空ひばり論」、去年リフォームした折、収集していたひばり関連の資料のほとんどを捨ててしまった。今更後悔しても遅い。日本語ではなく英語で書くつもりだった。海外ではほとんど知られていない「美空ひばり」。日本においても、歌は歌い継がれてはいるけれど、彼女が昭和の芸能史にもつ意味を研究した本はない。昭和史の中でも突出した意味をもつ人物の一人なのに、これはフェアでない。なんて恐れ多くも厚かましくも考えていた。去年のリフォーム時に自分の手に余ると考えて、資料を手放してしまった。それが正しい判断だったかは別として、自分のキャパを考えると仕方なかったのかも。得心の上でのことだった。日本語で書くのなら多少は可能性はあったかもしれないけど。

このフジの番組中の情報のほとんどは、私が収集した中にあった。漏れていたのが、三島とのエピソードの詳細、それに猿之助との「絡み」のみ。猿之助は濃いひばりファンなんですよね。それは昨年1月の猿之助主演の『元禄港歌〜千年の恋の森』の舞台をみた折に演出を担当した蜷川幸雄の言葉で初めて知った。なんでも、猿之助から「美空ひばりの歌を劇中歌として全編にかけたい」というリクエストがあったという。これについては当ブログの記事にもしている

さすが猿之助美空ひばりが持つ意味をよーく分かっている。山折哲雄さんが『美空ひばりと日本人』という本を出されているけれど、ひばり関連の「学術書」はそれくらいだろう。日本人のほとんどは、彼女の歌の上手さは認めつつも、彼女を単なる「歌謡曲歌手」の枠に押し込め、(語弊があるかもしれないけど)下に見ているような気がする。「芸術」だとは絶対に認めないだろう。口惜しい。

かくいう私もそうだったから、人のことをとやかくいえた義理ではない。あくまでも古臭い演歌歌手というイメージだったひばりさん。それがアメリカにいるとき、たまたま日本から何本も送ってもらったカセットテープ(!)に彼女の歌が多く入っていた。意表を突かれたというか、やられた!外国にいたからだったかもしれない。とにかく、やられた。すごいと降参した。それが博論を仕上げる前。博論が終わったら、ひばり論を書こうと決心した。それなのに頓挫。情けない。

この番組で嬉しかったのは、沢島忠さんがまだお元気でおられることがわかったこと。なんと御歳、91歳!ひばり映画といえば沢島忠監督ですからね。後のひばりのコマ劇場舞台でも彼が演出している。ひばり映画はDVDを集めまくって、ほとんどみたのだけど、沢島忠著、『沢島忠全仕事 - ボンゆっくり落ちやいね』(ワイズ出版、2001年)も入手して読んだ。「ボンゆっくり落ちやいね」とは彼のお祖母様の言葉だとか。お祖母様は京都の方だったという。この本、書架を探したけど、見当たらない。リフォームで処分したんだろう。図書館で借りて読み直すしかなさそう。

そうそう、「聞き捨てならない」(?)猿之助談。なんとご自分の葬儀ではひばりさんの「川の流れのように」をバックにかけてもらいたいんだそう。うん、わかります。私なら、「真っ赤な太陽」ですけどね。それか「人生一路」。彼がひばりさんから直筆サインをもらったエピソードも楽しかった。おませな子だったんですね。その頃から彼女のすごさがわかっていたとは!