yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

宝塚歌劇雪組公演『JIN—仁—』10月29日(月)

テレビで同題の番組が放映されていたのを一度だけ観たことがある。主演は大沢たかおだった。着想がなかなかおもしろいと思った。検索をかけて、もとはマンガだったことが分った。同じくWikiによれば原作者の村上もとかは江戸の遊郭を調べてゆく途中で多くの遊女が梅毒に犯され亡くなっていった事実を知り、せめて彼女たちを自分の作品中で救いたいと考えて、この作品を描いたという。つまり医療とヒューマニズムが結びつき、そこに歴史上の事実を絡めながら作品にしたということだろう。原作のマンガは読んではいないけど、私が観たテレビ番組ではたしかにそういう原作者の強い思いが出ていたように思う。

宝塚がこれを手がけるとどうなるかという興味があり、出かけたのだ。期待値は高くなかったけど、これはたびたび裏切られるので、あまり先入観にとらわれないでおこうと注意しながら観た。でも最初の5分で決して大きくはなかった期待すらも撃沈させれた。

なにしろ20巻にもおよぶドラマをわずか2時間足らずの間にぶちこむのだから、ある程度仕方ない面はあるだろうけど、出来事の羅列を延々と「流す」というのは、「それって、どうよ」という感じである。舞台装置が(私が今までみてきた劇場の中では飛び抜けて優れていた)凝りに凝っていて、さすが宝塚と感心はした。梅田芸術劇場でもそれは同じだった。でもまるでエンドレステープを流しているかのように、畳み込むように出来事をつなげ、それに合わせて次々と場面展開、目が回ってしまう。もう少し整理して、ポイントになる出来事を一つのまとまりのあるドラマとして構成してゆくべきだっただろう。観客は「お勉強」に来ているわけではないのだから。ましてや原作が歴史を換骨奪胎、完璧に虚構化した作品と思われるので、その精神を生かす工夫をすべきだろう。脚色、演出がまずい。ドラマツルギーが何たるかを理解していないのでは。まあ、こんな辛口をいうのは私のような非ファンのみで、熱狂的ファンに支えられている宝塚ではそういう批評を聞くことがないのだろうけど。何をやってもファンが観てくれるという安心感になれ合っていると、演劇自体の質が劣化してゆくのは間違いない。それとも質なんてはなから気にしていないということか。

ファン層にある種の偏りがあるからだろうけど、(安っぽい)ヒューマニズムに安っぽいセンチメンタリズムの混合体はこちらまで気恥ずかしくなってきてしまった。今さら、「亡き人たちが星になった」だの「ほたるになった」だのはないでしょう。こんなのをアプリシエイトするなんて、今どきの女子中学生でもないですよ。

俳優でも「これ」っと思わせる人がほとんどいなかったのが哀しい。主役の南方仁を演じた音月桂はエロキューションは他のどの俳優よりも良かった。また、演技でもこの医者の心理的葛藤を描く努力をしているようにはみえた。坂本龍馬役の早霧せいなという人もエロキューションは良かった。でも他の女性役の役者さんたち、金切り声でキンキンと叫んでいるだけで、なんとも鼻白んでしまった。マイクをつけているのだから、もう少し、発声のコントロールをしてほしい。

話としては荒唐無稽さを逆手にとって、思いっきりはじければいいのだけれど、その場合女性ばかりだと(宝塚だからトーゼンなんだけど)なにやらヒステリー集団のようになってしまう。改めて男女差を認識させられてしまった。また体型的にも遠目でみても女性が男役をやるとどこかウソっぽくなる。華奢であることがマイナスになるのだ。気張れば気張るだけウソっぽくなる。これが逆に男性が女形をやる場合はその大柄であることや男の声がある種の色気、エロティシズムを醸し出すことになるのが不思議である。

レビューはたしかに壮観だった。宝塚の真髄はおそらく芝居にではなくここにあるんでしょうね。でもこういうあまりに「西洋的」なものをみせられると、西洋ものオペラを日本人キャストでやったときと同じく、なにか居心地の悪さ、スワリの悪さを感じてしまうのは、私だけだろうか(これだけ多くのファンに支持されているんだから、そうなんでしょうね)。

それで改めて考えたのは大衆演劇になぜ客が増えないのかということである。宝塚のような西洋ゲテモノ(良い意味で使っています)をみるくらいなら、和製ゲテモノをみたほうがずっと楽しいのにと思ってしまう。大衆演劇には」ゲテモノ」にとことん淫し、そしてそれを逆手にとってつきない魅力あるものにかえるという芸当をしている劇団がいくつもあるのだから。都若丸劇団、恋川劇団、たつみ演劇BOX、劇団美山と私が高く評価している劇団を順不同に並べてみたが、それ以外にも私たちの心を打つ芝居をし、旧くて新しいステキな舞踊を魅せてくれる劇団がいくつもある。宝塚大劇場のような大掛かりなセットもできないし、照明とかの条件もはるかに劣っていても、舞台としてみればはるかに魅力的なのだ。