華麗な祖先をお持ちなのに、改めて感嘆している。雅子さまの優秀さと品格はこのようなご先祖方から受け継がれてきたものだと、得心できた。
- 解同と総連の圧力で宮内庁が雅子さまご家系の公開を中止した経緯が
- 優秀な方勢揃いの雅子さま父方、母方のご親類
- 雅子さま母方の曽祖父、山屋他人(海軍大将)と江頭安太郎(海軍中将)
- 雅子さま父方の祖先方と家系図
解同と総連の圧力で宮内庁が雅子さまご家系の公開を中止した経緯が
雅子さまが皇太子妃に決まったとき、宮内庁が系図を発表しようとしたところ、紀子父の川島辰彦がそれを「差別だ!」と止めたとか。カワタツのバックには圧力団体の解同(部落解放同盟)や総連(在日本朝鮮人総聯合会)が張り付いているので、宮内庁は公表をあきらめたらしい。まさに泣く子も黙る解同、総連。逆にいえば、雅子さまのご家系がいかに素晴らしいものであるかを、カワタツは知っていたということだろう。
優秀な方勢揃いの雅子さま父方、母方のご親類
雅子さまの父方、母方のご親類はいずれも素晴らしい経歴の方々。父、小和田恒氏の兄は大学教授、弟は弁護士、海上保安庁次長、国土交通省研究所所長等の経歴。母、優美子さんの従兄弟は文芸評論家の江藤淳氏である。戦後、小林秀雄亡き後は文芸評論の第一人者であった。とくに「漱石論」の視点、論点は卓越していた。小林秀雄、江藤淳、吉本隆明は文芸批評に関心を持つ人の必読の書だった。江藤氏はその中でもどちらかというと「右寄り」とされていた。そういえば当ブログで言及した『楠田實日記』には、佐藤栄作首相が江藤と小和田恆氏ご夫妻を招いて懇談したという挿話が載っていた。
このご先祖をたどる作業をしていて判明したのが、雅子さまの母方、父方のご先祖の共通項が藩士の家系であること。武士階級出身者がそのまま日本國軍将校となり、お国のために尽くす道を選んでおられるんですよね。それも超優秀な軍人として。
雅子さま母方の曽祖父、山屋他人(海軍大将)と江頭安太郎(海軍中将)
山屋他人 (1866—1940)
現在の岩手県盛岡市に盛岡藩士山屋勝寿、ヤスの長男として生まれる。上京し、攻玉社に火曜。ここで江頭安太郎と知り合った。
1886年(明治19年)、海軍兵学校卒業(12期)。
日露戦争時には防護巡洋艦 「秋津洲」、同「笠置」の艦長、第四艦隊参謀長を務めた。
明治41年、東宮御用掛(内廷費用から雇われる東宮の私教員)を仰せつかる。東宮とは後の昭和天皇裕仁で、当時7歳。
日露戦後は人事局長、軍令部次長、第二艦隊司令長官などを経て第一艦隊司令長官兼連合艦隊司令長官となる。
江頭安太郎 (1865—1913)
海軍中将を最終階級として47歳で死去
江頭は、海軍兵学校在校中全科目で首席を占めたといわれ、海軍大学校甲号学生を首席卒業という稀な秀才であり、山本権兵衛に早くから目を付けられた逸材だった。
日露戦争では大本営参謀を務め、海軍省人事局長、同軍務局長と軍政畑の要職を歴任し、海軍大臣候補であった。
個人的には雅子さま曽祖父の山屋他人海軍大将がときの東宮、のちの昭和天皇の「御用掛」を務められたというところに、縁の深さというか、運命のようなものを感じてしまった。孫の徳仁さまが昔ご自分の教育係だった方の曽孫さんと結婚すると聞かれたら、昭和天皇はどれほどお喜びだったことだろう。
比べるのも失礼ながら、文仁が出自の怪しい紀子を連れてきたとき、昭和天皇は「妾でもだめ」と拒否されたんですよね。美智子という非差別部落出身者を皇室に入れたことで、散々懲りられておられた上に、今度はそれに加えて半島出自ですからね。日本で最も「高貴」な場である皇室に、これ以下はないほどの卑しい女、まさに「ありえない!」のひとこと。今、私たちはその「つけ」を払わされている(怒)。
雅子さま母方祖父の江頭 豊(1908—2006)
東京府出身。父は海軍中将の江頭安太郎、母は現・海城学園創立者の古賀喜三郎の娘・米子。
戦時中はノモンハンに召集され、九死に一生を得て帰還した。
1933年(昭和8年)東京帝国大学法科を卒業後、日本興業銀行に入行。資金部長、人事部長、融資部長、中小企業金融公庫理事を歴任。
1958年(昭和33年)日本興業銀行に戻り取締役。
1961年(昭和36年)常務取締役。
1962年(昭和37年)日本興業銀行をメイン版kとし、水俣病問題と労働争議による長期ストライキにより経営不振に陥っていた新日本窒素肥料の立て直しのため、中山素平頭取の以降で同社の専務取締役として派遣された。
雅子さまを「攻撃」するのにこの「チッソ」を持ち出す人がいるが(美智子前もそれ)、豊氏はチッソのメインバンクの興銀から、チッソの経営を立て直し、被害者たちへの補償を円滑にするため出向した方。もちろん、チッソの犯罪とはまったく無関係。以前にもこのブログで記事にしたけれど、美智子前の妹の嫁ぎ先は新潟水俣病の主犯、昭和電工の安西家ですからね(妹の夫が文仁父と言われている安西孝之)。これについてはこの私の別のブログ、「gooブログ」に記事を上げている。
美智子前がいかに恥知らずかがよくわかる。
豊氏は父、安太郎の友人の山屋他人の長女、寿々子と結婚。その娘が優美子(雅子さま母)。
以上の記載を網羅したWiki掲載の家系図をスクショしたものが以下である。
雅子さま父方の祖先方と家系図
新潟県村上市郷土資料館資料の「皇后陛下雅子さまゆかりの地・村上」というタイトルのページに小和田家一族について、天明7年(1787)の村上藩第十代藩主の分限帳に「下横目、小和田新六」と記載されているところにまで辿れるという。URLをリンクしておく。
まだまだ調査を待たなくてはならない部分もあるけれど、判明したものを「小和田・嵩岡家関係図としてアップされているのが以下である。こちらもスクショさせていただいた。
また、ヘカテさんの「列外派星くず日記」に、これをより遡る家系図をヘカテさんご自身で調べられたものが載っている。URLをリンクしておく。現地に足を運ばれ、村上市中央図書館で蔵書を検索された成果に頭が下がります。ありがとうございます。
最近出くわしたブログに、美智子前が被差別部落出身であるとした上で、雅子皇后陛下の出自も同じであると断じているものがあった。出している根拠は全くいい加減なもので、怒り心頭だった。外務省はキャリア組入省の際には厳しい調査があると聞いている。その業務内容から当然である。とはいえ、「差別」になるということで、それは公にはならないだろうけれど。
美智子、紀子の出自をなんとか糊塗しようとする画策以外のなにものでもない。悪足掻きもいい加減にしろと言いたい。