yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

アメリカ同時多発テロから20年、その傷は癒えない

昨日はアメリカ東部時間の9月11日。あの同時多発テロから20年が経過したことになる。ニューヨークのワールドトレードセンター跡地で追悼式典が行われた。その模様の一部を「モーニングサテライト」(テレビ東京)で見た。テレビ画像をアップしておく。アメリカ人の多くにとってこのテロはトラウマになっていて、未だにその傷が完全に癒えたといえないだろう。式典のあと跡地に集まった多くの人たちの姿をテレ東の「モーニングサテライト」からショットしたもの。

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9月11日の朝、私はフィラデルフィアにいた。日本にいる連れ合いからの電話で、慌ててテレビをつけると、「NBC NEWS TODAY」(アメリカ東部時間7時始まり)でいつもはにこやかなキャスター、Katie Couricが沈鬱な表情でワールドトレードセンター北棟に旅客機が突っ込んだと報じていた。あまりにも生々しい映像。現実のものとは到底思えないものだった。思考が完全にストップした。NBCのスタジオが(もちろん見ていた視聴者も)さらに凍りついたのが、わずか十数分後、南棟にも二機目が突っ込んだシーンだった。スタジオの人たち全員がただただ言葉を失っていた。WTC2棟の後、三機目がペンタゴンに墜落、四機目はペンシルベニア州の野原に墜落した。この飛行機は本来ホワイトハウスもしくは国会議事堂を攻撃するはずだったという。

この日、担当していた日本文学のリーディングのクラスが2時間目に入っていたので気も重く大学に出かた。オフィスで授業準備をしていると、学生数人が授業は無くなったと伝えに来た。NYに家族や親類、友人が多くいる(ユダヤ系の多い)ペンシルベニア大の学生たち、彼らにとってはアメリカ自体への攻撃もさることながら身内の生死も気がかりだったに違いない。見慣れた大学のキャンパス、その光景も今までとは違ったものだった。時間もストップしてしまった。世界がひっくり返ってしまった。キャンパスの中を通り抜けると、ほとんどの人の表情がこわばっていた。まだ数時間前に起きたことへの頭の、心の整理が付いていない、そんな印象だった。まるで通夜だった。

NBCは翌日の12日にNBCが5時間にわたる特集番組を組んでいる。ブッシュ大統領が映っている。

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これはリアルタイムで見ているのだけれど、改めてあの時の恐怖が甦って来た。一体アメリカはこの後どうなるのか。人々はどう対処すればいいのか。模索すればするほど、迷路に入ってしまう。絶望感というより無力感。それを追体験させられた。

呆然としていた人たちが、教会でキャンドル追悼礼拝を行うようになった。私もその一つに参加したけれど、どうしようもない無力感に苛まれつつもなんとか光明を見出そうと努力しているのがわかった。テレビでは連日アラブ系の人たちへの迫害があると伝えていたけれど、私が知る限りは不思議なほどなかった。在籍していたのが「Asian & Middle Eastern Studies」(現在は分割)という学科だったので、中東系の学生も結構いたけれど、排斥はなかったと思う。アメリカ人学生にそういう言動はみられなかったのに、驚いた記憶がある。

しかしアメリカ全体で見ると、この事件がブッシュ大統領主導のもとアメリカをイラク戦争に踏み切らせる契機に(excuseにも)なり、そのあとの長く続く対テロ戦争の口火を切ったことにもなった。「アメリカ、アフガニスタンから撤退」のニュースに改めてこの20年を思う。戦争に明け暮れたこの20年だったといえるかもしれない。最近になって、FBIが捜査記録一部の機密解除をした上、それを初公開したというのがニュースになっていた。サウジ政府当局者がテロを支持し関与していたことが示唆される書簡も公開されているという。あの頃から噂されていた謎の一端があきらかになった。感慨がある。リンクしておく。

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フィラデルフィアからNYは車でもアムトラックでも1時間強。学期中は忙しくて休みにたまに出かける程度だったのが、テロ以降はまったく出かけなくなった。だから跡地がどうなっているのか、この目で見たことはなかった。帰国してから10年経ってやっと出かけた。このブログ記事にしている。NYが昔のNYであると同時に、何かが変わってしまったという印象だった。それが何なのかはわからない。