yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

皇室の「キリスト教汚染」を企んだ?——美智子前皇后、小泉信三、ヴァイニング夫人を手がかりに

 

美智子前は皇居に礼拝堂を造っている?—彼女は未だカトリック教徒?

以前に美智子前皇后が未だカトリック教徒のままで、皇居内に礼拝堂を創っているという情報があがっていた。ローマ教皇に面会することを強く望んだという記事もあった(当ブログに新聞掲載の訪問記事をあげている)。また、ご結婚前の義宮様(現常陸宮様)をキリスト教に引き入れようとして、昭和天皇の怒りを買ったという側近の方の情報もあった。

皇室神道の担い手として宮中祭祀に携わるべき天皇。その天皇家の宗教が神道であるのは自明のこと。そのお膝元がキリスト教徒に「汚染」されることを昭和天皇が忌避されるのは当然だろう。

「キリスト教汚染」のきっかけを作った小泉信三

今回『入江相政日記』の第3、4巻を読んで、改めて昭和天皇、香淳皇后とその周辺が、美智子という「外来種」がもたらすキリスト教に皇室が「汚染」される事態をいかに危惧されていたかがわかった。ただ昭和天皇は、敗戦国であるという負い目から、GHQには逆らえなかったと推察できる。見えない圧力の網の目が張り巡らされていたのだろう。その GHQの「出先機関」とでもいうべきなのが小泉信三だった。

GHQの回し者?

以前にも書いたけれど、中高一貫教育のプロテスタント系ミッションスクールで6年間を過ごした私が耳にした小泉信三の評価は、非常に高いものだった。小泉信三がいかに立派な人だったかを聞かされる機会が礼拝等であったのだけれど、それもキリスト教との関連で見ると納得ではある。だから彼がGHQの「出先機関」だとはにわかには信じられなかった。今もそれは変わらない。でもやっと最近になって、評価は変わりつつある。歴史的資料は実像を伝えますからね。

小泉信三によって「皇太子の恋」はお膳立てされていた?

美智子前を当時の皇太子(現上皇)に引き合わせたのは当時皇太子の教育係だった小泉信三と言われている。

戦後、ほとんどの大学学長がGHQにより戦争責任を問われて退任した中で、慶應義塾の塾長だった小泉信三は公職追放を免れた。そればかりか1949年には皇太子の教育係(東宮御教育常時参与)に就任している。その頃小泉はすでにキリスト教徒だった。1948年、孫娘が亡くなったのがきっかけでキリスト教に入信したという。新旧を問わずキリスト教が戦後の天皇家に深く、濃く影を落としていたのがわかる事象ではある。

小泉は皇太子に心身鍛錬の手段としてテニスを強く勧めたという。そこからあの(出来レース感満載の)「軽井沢テニスの恋」に続くのか(詠嘆)。

皇太子教育係 ヴァイニング夫人

そしてそこにもう一人のキリスト教徒が加わる。それも裕仁天皇(昭和天皇)の希望(?)だったという。それがエリザベス・ジャネット・グレイ・ヴァイニング(Elizabeth Janet Gray Vining)。以下Wikiからの引用。

明仁にアメリカ人の家庭教師をつけたいと望んだのは、第124代天皇裕仁だった。裕仁は平和理念としてのキリスト教に関心を示し、1946年3月に日本を訪れたアメリカの教育使節団の団長、ジョージ・ストッダート博士に会った際に、裕仁自ら明仁のための家庭教師を斡旋してくれるように依頼した。その条件は、「狂信的ではない女性のキリスト教徒であり、日本ずれしていない人」というものだった。

この人はかなりエキセントリックな人だったようである。それもそのはず、クエーカー教徒だった。上の記載にある「狂信的でない女性」という点では、このヴァイニング夫人はかなり疑問符がつくかもしれない。クエーカーはアメリカでは一般的にそういう評価をされている。

なんと彼女は私が7年あまりを過ごしたフィラデルフィア近郊のブリンモアカレッジの出身。ちょっとばかり懐かしい。ブリンモア(ブリンマー)大学は女子リベラルアーツのカレッジとしてはマウントホリヨーク大などと並んで全米トップクラス。あの津田梅子も学んだことがある。

小泉信三とヴァイニング夫人という二人はやはりGHQと関係が深い人たちだっとというのは、やはり受け止めなければならない事実だろう。敗戦は残念ながら日本を隷属的立場に追いやったといえるかもしれない。