2013年公演の収録。おそらく近年稀に見る完成度の高さゆえに代表舞台としてアーカイブ化されたのだろう。レベルの高さは凄まじいの一言。さすが世界最高峰のパリ・オペラ座!2013年といえばミルピエが抜ける前のパリ・オペラ座。この舞台の振付監督が彼だったのか不明ではあるものの、後半部の振り付けと展開法には斬新さが見て取れた。技術だけではなく、作品解釈に一歩も二歩も踏み込んだ舞台だったのではないだろうか。しかも非常に新しい感じがそこかしこにする意味でも、画期的な舞台だったのではないだろうか。
印象に強く残ったのが前半と後半との際立ったコントラスト。前半が古典的な踊りの集積になっているのに、後半は古典を覆す、どちらかというとバロック的な舞踊の連鎖。もちろん基になっているのはヌレエフ版なのだろうけれど、どこかモダンバレエ的とでもいうか、異質な要素が感じられた。加えて、自由な感じが強かった。とはいうものの、やはりそこはパリ・オペラ座、矩は外さない上にダンサーのレベルが桁違いに高い。外してもやっぱり「古典」なんですよね。「これぞバレエ!」感が迫ってくる。その意味では2017年に日本で見たパリ・オペラ座の陣営よりずっと整った、完成度の高い陣営だったのではないかと感じている。
「2016-2020 Cutlure-ville, LLC」サイトにアップされた作品解説を引用させていただく。
見どころ:
『白鳥の湖』『くるみ割り人形』と並ぶチャイコフスキーの三大バレエの一つであり、壮麗でスケールの大きなグランド・バレエとして他の追随を許さない古典バレエの傑作。
1890年にサンクトペテルブルグのマリインスキー劇場で初演。作曲家チャイコフスキーと振付家マリウス・プティパが緊密に連携し創り上げた。ルドルフ・ヌレエフはロシア・バレエの栄光を象徴するこの究極の大作に取り組み、1966年にミラノ・スカラ座バレエのために自身の版を創作。その後も世界各地のバレエ団で少しずつ変更を加えながら上演したが、パリ・オペラ座バレエで1989年に5回目の再構築を行った。
ヌレエフ自身の高度な技術を最大限に見せるために、王子の踊りが通常踊られている版よりも多い。特に2幕では、まだ見ぬオーロラとの愛を求める想いと王子の憂いが合わさった、美しいヴァイオリンのカデンツァに合わせた長くロマンティックで高難度のソロが印象的で、本作では現在のパリ・オペラ座で最高のテクニックを誇るマチアス・エイマンが輝かしくもエレガントに踊っている。善と悪という世界の二元性を象徴するリラの精とカラボスは、踊らない役で両方とも女性ダンサーが踊る。
オーロラ姫の16歳の誕生日に求婚者たちに出会う“ローズ・アダージオ”はバレリーナにとっては挑戦となる名場面。お姫様そのものの愛らしい容姿、アラベスクの美しいクラシック・バレリーナ、ミリアム・ウルド=ブラームは、初々しくも緊張感あふれる難しいバランスを決めて、16歳の無垢な少女の生き生きとした闊達さも見せてくれる。
プロローグの妖精たちのヴァリエーション、2幕の幻影のシーンの幻想的なコール・ド・バレエは、これぞ世界最高峰のパリ・オペラ座バレエならではの美しさ。
100年を経てオーロラが目覚めたのちの3幕の結婚式では、おとぎ話の登場人物たちがお祝いに駆けつけて楽しいディヴェルティスマンを披露。やはり超絶技巧を誇るヴァランティーヌ・コラサントとフランソワ・アリュの空を飛んでいきそうな青い鳥のパ・ド・ドゥには興奮させられ、フランス王室を象徴する、華麗そのもののオーロラと王子のグラン・パ・ド・ドゥで多幸感は頂点に達する。
16歳の無邪気なお姫様から、2幕の幻影として現れる憂愁に満ちて高貴な姿、そしてデジレ王子に出会って結ばれた幸福感に包まれ、威厳を湛えた歓びあふれる王女と、様々な顔を見せるオーロラ姫に、フランス・バレエの粋を体現するミリアム・ウルド=ブラームは最もふさわしく感じられる。マチアス・エイマンも、どこか人生に満ち足りないものを感じて迷っている青年から、オーロラに恋してカラボスに打ち勝ち、オーロラの愛を掴む堂々とした姿への成長物語を、磨き抜かれたクラシック・テクニックを用いてドラマティックに演じ、ヌレエフの再来を思わせる。
単なる子ども向けのおとぎ話ではない、深遠なドラマ性を感じさせるのが、パリ・オペラ座バレエの『眠れる森の美女』。未だ日本でのテレビ放映もディスク化もされていない貴重な映像、目が眩むばかりのゴージャスなバレエの極美の世界にぜひ陶酔してほしい。
以下がスタッフ・キャスト一覧である。
振付
音楽
音楽監督
私が最も興奮したのが青い鳥を踊ったフランソワ・アリュ!この人の素晴らしさは2017年3月の東京文化会館公演中『ダフニスとクロエ』でのブリュアクシス役で確認済みだったから。これ、ミルピエ振り付けだったんですね。もっと、もっと見たいと思いながらもなかなか叶わず、やっとシネマ版で見ることができた。素晴らしい跳躍!コミカルな所作。これらはテクニックを超えたプラスαである。表現力はそのまま人間力。この人の奥の深さと広さを感じさせられた。私が最初にアリュに感動したのは、何と言ってもその色気。コケティッシュでいて品がある。確認できてよかった! この「青い鳥」さんへの観客の歓声と拍手は主役たちへのヴォリュームと同じか、それ以上だった。それにも感動。
主役のオーロラ姫を踊ったミリアム・ウルド=ブラームは2017年3月、東京文化会館の「オペラ座・グランガラ」で見ている。「テーマとヴァリエーション」をマチアス・エイマンと踊っていた。さらに、同年8月に兵庫芸文センターでの「バレエ・スプリーム」公演で「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」(バランシン振付)をマチアス・エイマンと踊っているのを見ている。記事にしている。エイマンとはよきパートナーなんですね。可憐な感じがオーロラ姫にぴったり。でもちょっと余裕がないかな?って感じるところがあった。もっと大らかに、大胆に踊ってもよかった?
相手役のデジレ王子、マチアス・エイマンはミリアム・ウルド=ブラームの相手役として東京文化会館公演と兵庫芸文センター公演も見ている。超絶技巧とでもいうべき跳躍に圧倒された記憶がある。加えて「バレエ・スプリーム」でのソロ、「マンフレッド」も素晴らしかった。あっけらかんといとも簡単そうに超絶跳躍をする。只者ではない。かなりオープンというか開放的な雰囲気の踊り手なのでこの技巧を超えた深さが出て欲しいなんて、勝手なことを考えていた。
もう一人、以前に見た踊り手が。妖精役のレオノール・ポーラック。彼女は2017年3月の東京文化会館での『ロミオとジュリエット』と『ダフニスとクロエ』で見ている。その頃から中核だったんですね。可愛い印象ではあるものの実力の並大抵でないのはわかった。おそらく前半部ではもっとも輝いていた踊り手だった。
バレエ『眠れる森の美女』を見るのは初めてだったのに予習をしないで行ったことを後悔した。全体として見ると極めて寓話性(アレゴリカル)の高い作品に思えた。バレエを見るとき常に感じることでもある。さらに、その寓話性が見る者の深層心理の奥に分け入ってきてしまう。「眠り」が主たるテーマになっている点も寓話性を高める結果になっている。解釈をしたくなってしまう強い欲求を感じた。
前半から「百年後」の後半部、人物が全て金髪なのが気になった。これはどういう意味を持っているのでしょうか?「オリエンタリズム」を適用したくなる誘惑に駆られた。ただ単に、百年後を示すためのもの?どこか釈然としないままではある。ここにも見る側の「解釈」をそそのかす何かがあるような気がした。