yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

林宗一郎師の鮮やかな糸さばきに見惚れた能 『土蜘蛛』 in「KYOTO de petit 能」@京都観世会館12月18日

文化庁主催、京都府と京都市教育委員会後援の企画。「90分で能観劇」3回シリーズの第一回公演。人間国宝の大倉源次郎師がサポートされた公演だと公演前の大倉源次郎師のお話から推察している。文化庁が京都に移転する本年、2020年、コロナもあって遅れているようではあるけれど、近いうちに文化庁は確実に京都に移設される。日本文化の中心地、京都に文化庁が移る。その記念に当たる公演に林宗一郎師が主役を務められるのは、あまりに当然のこと。慶ばしい。

こういう背景を知らなくても、今回の公演の意義はこの日の参加者に伝わっていたと思う。観客の若さが特徴的だった。おそらく能を見るのは初めてという人が多かったかもしれない。それでもこの素晴らしい公演を見て、感動しなかった人は皆無だろう。とてつもない場に立ち会ったという想いを、観客は共有していたと思う。会場の一体感が凄かったので、これは確信である。

「今まで能を知らなかった若い層になんとか能の面白さを伝えたい!」。主催者の強い想いが結晶した『土蜘蛛』の舞台。会場の反応を見ながら、ホロリとしてしまった。「あなたたちはこれが能のイニシエーションでラッキーでしたね!」と、叫びたかった!それほどのインパクトのある舞台だった。

当方、歌舞伎歴30年余。歌舞伎では何回も「土蜘蛛」を見てきている。舞踊劇が中心ではあるけれど、この能舞台ほどの衝撃は受けたことがない。玉三郎の舞踊はそれなりに素晴らしかったのではあるけれど、この曲の背景にある「正史から排除された者の悲哀」までは描ききれていなかった。他演者のもの然り。公演前の宗一郎師と源次郎師との対談で、その背景が語られていた。こういう趣向も啓発的。能の奥深さを新ためて認識させられた。さらに、能は古くて新しいんですよね。だからこそ、若い層を惹きつける可能性は大なんですよね。とくに昨今の社会情勢では。若い人にこそ、能の普遍性をわかってほしいい、その素晴らしさを共有して欲しい!I’m craving for that! 

この演目を選ばれた林宗一郎師の慧眼には脱帽である。そうなんですよね、能はstaticなものではないのです。こんなに躍動的でスペクトル感に溢れたものなのですよ!歌舞伎以上に!こういうメッセージが伝わったと思う。戦略が成功して欲しい!

舞踊では、宗一郎師の蜘蛛の糸の捌き方が秀逸だった。何度も、何度も、糸はところ狭しと投げかけられ、舞台全体に蜘蛛の巣がはり巡される。これ、圧巻です。歌舞伎版よりもはるかに優れているのは、この精巧さと「過剰」です。糸が自分の上にかかっていようが、我関せず謡に集中する地謡方。古今東西を問わず、こういう事象は従来の舞台ではありえない。地謡方を引き連れ、その競演の中に自身の存在をくっきりと明示した宗一郎師。その存在感が当たりを制した舞台だった。 

もっとも注目すべきは、演者たちの若さ。この舞台が成功したその理由の一つは、間違いなく、舞台に出ている演者が若いということだろう。若いエネルギーが放出され、浸透する。その基本になっているのは新しい企画へのシンクロナイゼーショント言えるかもしれない。若い観客を呼び込む工夫を本気で考えるところにきているのではないでしょうか?

公演チラシです。

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