yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ポストモダン的終幕が心に残る片山伸吾師シテの『野守』in 「片山定期能 4月公演」(延期公演)@京都観世会館 12月13日

印象に強く残ったのが終幕部。想いを断じるかのような唐突ともいえる終わり方。度肝を抜かれた。さすが世阿弥、こういうまるでポストモダンを思わせる終止符の打ち方をやってのけたんですね。心底、打たれました。降参です。まさに時代の先を行っていた世阿弥元清!

「野守」といえば額田王の恋歌、「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」がまず浮かぶ。高校の古文の時間に習ったのだけれど、その背景の解説を受けて衝撃を受けた。当時ネットなんてなかったので、図書館で背景を調べたことが甦ってきた。額田王へのアリュージョンはそのままこの能に生かされている。シテの翁が春日野の歌をもじりつつ、自身が野守であることを明かすところである。

さらに、万葉集巻頭の雄略天皇御製の歌「こもよみこもち」で始まる歌に出てくる「菜摘ます児」へとアリュージョンが展開して行く。すべて『万葉集』の歌が絡んでいる。さらに、「昔仲麿が 我が日の本を思ひやり 天の原。ふりさけ見ると詠めける 三笠の山陰の月かも」に続いて行く。これはあの有名な(百人一首にも収録されている)仲麻呂の歌、「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」が連想されるもの。唐からはるか日本を偲んで歌った仲麻呂、日本の土を踏むことは適わず唐の土となった。これらの多彩でしかも歌人本人の複雑な心境が色濃く現れた歌をちりばめることで、世阿弥は何を訴えているのか。

しかしながら、ことはそれで終わらない。観客が人口に膾炙した歌の引用がもたらす馴染み感というか馴れ合いというかfamiliarityの想いに耽っていると、それはあまりにも突然に断たれてしまう。この「断」に、世阿弥が何を託したのかが、とても気になる。

モチーフとなっているのが「野守の鏡」。それも春日野に住む鬼の鏡だという。この連想のジャンピングもまさにポストモダン。しかもその鏡は「老の波は真清水の。あはれげに見しまゝの。昔のわれぞ恋しき。実にや慕ひても。かひあらばこそ古の。野守の鏡得し事も年古き世の例かや。年古き世の例かや」という鏡である。鏡が映し出すのはあくまでも現在の老いた自身。しかしその背景に昔のわれが映っている。現在と過去とが交錯する形で映し出される「野守の鏡」。それはまさに世阿弥の生きている時間と万葉集の歌人たちとが交錯する場でもある。こういう「鏡」の使い方が、実に上手いと唸らされる。

やがて鏡を通しての詩歌のアリュージョンは「鬼神の鏡」という神の領域に突入する。ここには「歌が神に至る道である」、「歌と神とが密接に関係して」といった世阿弥の「主張」のようなものを感じ取ってしまう。

鬼神の鏡は真実の鏡でもあった。銕仙会『能楽事典』はそれを「明鏡が見せるものは、東西南北を守護する神仏の世界。天を映せば天界の頂上、地を映せば地獄の底まで、鏡は隈なく映し出す。地獄で罪人を責め立てる、善悪を正す鬼神の道。この真実の鏡こそ、そんな鬼神の秘宝だ」と解釈している。天と地の事象を両方正確に映し出す真実の鏡。

非常に複雑、複層的アリュージョンと形而上学的、かつ難解な「鏡」の提示。しかもそれがあまりにも唐突に終焉する。色々な想像を巡らし、解釈していた観客は、そこで世界から放り出されてしまう。この態度はまさにポストモダンそのものである。

当日の演者一覧を以下に。

シテ 野守の翁 片山伸吾

   鬼神   片山伸吾

ワキ 山伏   小林 努 

アイ 里人   山口耕道

笛       杉信太朗

小鼓      吉阪一郎

大鼓      石井保彦

太鼓      井上敬介

後見   小林慶三 大江信行 梅田嘉宏 

地謡   片山九郎右衛門 古橋正邦 味方 玄 分林道治

     深野貴彦    橋本忠樹 大江泰正 大江広祐  

シテの片山伸吾師の安定感がこのポストモダンの過激さと中和し合っていて、舞台との一体感を持つことを許してくれた。さもなければ観客は完全に宙に放り出されたまま、不完全燃焼の思いを抱えつつ帰途につかなければならなかったかもしれない。トンガリを秘めた演者なのに、それを極力抑え込んで、あくまでも中庸を保ちながら演じられた。おかげで過激な『野守』がとても愛おしく思えた。また見たいと強く願う。