yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

橋本忠樹師シテの『殺生石』@京都観世会館 8月23日

狐が主人公の能作品らしく、駆け抜けるようなスピードで終結する。でも狐が消え失せたあとには、天皇の寵姫にまで上り詰めた妖狐の妖しい残り香が漂っている。美女が実は妖怪だったわけであるけれど、女性の嫋やかさというよりも、男性的強靭さが優っている。それがこの疾走に表れているように感じた。橋本師のシテはその両性具有的な特性を、精確に表現されていた。鬼物とはいえとても若々しく、誑かされるのも宜なるかなと思ってしまう。能作品には女性の執着、妄執を描くものが多々あるけれど、こちらはもっとすっきりとしている。べったりとした「うじうじ感」がないのに、それがかえって魅力的である。ほんのりと舞台に残る色っぽさ、艶っぽさがいい。

『殺生石』は「九尾の狐」伝説が下敷きになっているという。天竺、唐から日本にやってきたこの狐、なんと鳥羽天皇の寵姫、玉藻前になり宮廷に禍をもたらした。陰陽師の安倍泰成がその正体を見破り、放逐される。下野国那須野まで逃げていきたのだけれど、射殺され殺生石(巨石)と化す。そこから、この能が始まる。

能『殺生石』ではその後日談が語られる。殺生石の中に隠れていた狐は、未だ妄執に囚われている。しかし、通りかかった僧玄翁の読経によって、やがて調伏され、改心して消え去る。

先般アップしたチラシ裏に演者一覧が示されているが、主たる演者は以下。

前シテ 里女      橋本忠樹

後シテ 狐の妖怪    橋本忠樹

ワキ  玄翁道人    岡 充

アイ  能力      山下守之

 

大鼓          石井保彦

小鼓          林 大輝

笛           杉信太朗

太鼓          井上敬介

 

後見          片山九郎右衛門

            大江又三郎

さらに、「銕仙会」の「能楽事典」より「概要」と「みどころ」をお借りする。

概要

曹洞宗の高僧である玄翁(ワキ)が那須野を通りかかると、ある巨石の上で空飛ぶ鳥が落ちてしまうのを目撃する。そこへ里の女(シテ)が現れ、その石は殺生石といって近づく者の命を奪うのだと言い、いにしえ女官に化けて帝を悩ませた玉藻前という妖怪の執心が凝り固まったものだと教える。女は、実は自分こそその執心だと言うと、石の陰に姿を消す。玄翁が殺生石に引導を授けると、石は二つに割れて中から狐の姿をした妖怪(後シテ)が姿をあらわし、朝廷の追討を受けて命を落とした過去を物語り、玄翁の弔いに回心したことを告げ、消え去ってゆく。

 

みどころ

本作では、鳥羽院を苦しめた玉藻前(妖怪 九尾の狐)の故事が描かれています。
後シテが登場する場面で述べられることによれば、この妖怪は、インドでは班足太子(はんぞくたいし)に命じて千人の王を殺させた塚の神であり、また中国では周王朝の幽王を誑かして国を傾けさせた后 褒姒(ほうじ)であるといい、その妖怪が日本へ渡ってきたのが、この玉藻前であるといいます。能楽の成立した中世の世界観では、天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)の三国によってこの世界は構成されていると考えられており、まさしく全世界を股にかけて人々を恐怖に陥れる妖怪として、この玉藻前(九尾の狐)は造形されていると言えましょう。

その妖怪の執心が凝り固まった那須野の殺生石も、高僧・玄翁の祈祷によって打ち砕かれることとなります。先端がとがっていない金づちのことを「げんのう(玄能/玄翁)」と言いますが、それは本作で玄翁和尚が巨石を打ち砕いたところから「石を砕くもの」という意味で命名されたものであり、それだけ本作は人口に膾炙したものであったと言えましょう。
その巨石が打ち砕かれるシーンは、舞台上では石の作リ物(大道具)が二つに割れることで表現されます。この巨石が割れる演出は、本作のほか〈一角仙人〉にも登場しますが、スペクタクル性に富んだ、視覚的効果の大きなものとなっており、戦国期の能のショー的な雰囲気をお楽しみいただければ幸いです。

(文:中野顕正)

ここで改めてこの能が世阿弥の夢幻能の雰囲気とはかなり違っている所以に気付かされた。戦国期に作られた能だったんですね。ショー的な要素がふんだんにあり、せっかちな現代人をも飽きさせない趣向に富んでいる。当時としては画期的だったのかもしれない。読本の『八犬伝』を連想した。また、歌舞伎作品にこの「九尾の狐」を元にした作品があるらしいのだけれど、まだ見ていない。

三年前に「高槻明月能」で片山九郎右衛門師の『殺生石 白頭』を見ているが、かなり違った印象だった。非常に斬新な舞台だったことをも思い出した。

もう一つ思い当たり、その符合にハッとしたのは、舞台が「那須」であること。那須は長らく皇居を占拠していた、そして皇室に禍をもたらしている「妖怪」が頻繁に避暑に訪れていた場所。玄翁のような徳の高い僧がこの妖怪(たち)に引導を渡してくれないものかと、願ってしまった。