yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

YouTubeにアップされた「俳優祭2004  タカラヅカ」」がケッサク!

必見!サイトをリンクしておく。

https://www.youtube.com/watch?v=vgNTLP2yZwo&t=475s

2004年の「俳優祭」での出しもの。「タカラヅカ」と銘打っていることからわかるように、宝塚歌劇でのヒット作品のオンパレード。

拙宅は宝塚劇場の近所なのに、あの独特のキッチュさが肌に合わなくて、宝塚歌劇を見たのは2回のみである。だから、ここに出てくる人物は、『ベルばら』のオスカル以外知らなかった。『風と共に去りぬ』は原作を読んではいても、舞台を見たことはなく、宝塚でかかったことがあったのを初めて知った。「ベルばら」は確かテレビで放映されたのを見たのに、途中でやめてしまった記憶が。男役が長い付けまつ毛に濃い化粧で悲劇のヒーローを演じるというのが、生理的にダメだった?とはいうものの、歌舞伎、大衆演劇で男優が女形を演る異装(transvestism)には全く抵抗がなかった、むしろ魅惑されるのですけどね。

とはいえ、この「タカラヅカ」は魅力的だった。徹底したおふざけ精神と客サービスとで、本家よりはるかに魅力的?

最初に花道に登場した福助は『ベルばら』のオスカルの扮装で、かっこよさとハマリ度に笑った。男性のオスカルを女性が演じている。それをもう一度「ジェンダー(性)」を変えて男性が演じるっていうの、ステキです。二重の性転換が起きているんですね。それにしても、福助が乗りに乗っていた。なんでも、彼のつぶやきでは毎年この役をやらされている?

「ジャワの踊り子」の孝太郎もそのいかがわしさで笑わせる。これも宝塚歌劇で、ずいぶん古いものだとか。孝太郎にこういう面があることを知って、これから彼の女形の評価が変わるかも?

「踊る男S」は『ラヴィール』(1998年初演)の登場人物らしい。エジブトが舞台?踊りながら出てきた玉太郎(現 松江)。今まで私が持っていたイメージが変わってしまった。

それと『エリザベート』の登場人物、黄泉の皇帝トートを演じた高麗蔵のイメージは、大転換。意地悪な女房役が多く、その古典的な容貌からこんなに弾ける人とは想像もつかなかった。

きわめつけは彌十郎のレッド・バトラーと扇雀のスカーレット・オハラのペア。彌十郎はバトラーのニヒルな感じを「真面目に」出し、一方の扇雀はくねくね、ひらひらと身体全体を大仰に駆使して「女」をアピール。扇雀が福助と並んで「ゲテモノ」役が大好物であるのは勘三郎と組んだ「コクーン歌舞伎」やその後の野田版歌舞伎で証明されて(?)いるけれど、改めて納得。

極め付けに、なんと!『勧進帳』の関所の場面が展開する。冨樫役は仁左衛門。「うまく踊れば、通してやる」とのことなので、それぞれの芸を披露することに。例の「白浪五人男」の名乗りのシーンを模したもの。男性の五人は傘を持って、六人目の扇雀は日傘を持って後ろ向きに並美、一人ずつ振り返って名乗ってゆく。最初は「生まれはジョージア、云々」と名乗りつつやたらと見得を切る彌十郎=レッド・バトラー。その次は、「くるたびにこのこしらえ、厭だ厭だと断っても、扮装すれば気持ちい」と福助=オスカル。続いてカッコよく登場したのが満艦飾のバック飾りに身を包んだ玉太郎、ただ、セリフがきちんと拾えなかったのは、私が宝塚に縁がないからだろう。会場は分かっていたようなので、残念。その次は、高麗蔵=黄泉の皇帝トート。こちらはセリフが拾えた。曰く、「黄泉の国から甦り、顔色悪くてごめんなさい、これが冥土の死神トート」。五人男、最後は孝太郎で、「潮風荒きインドネシアの( )の 松の緑の孝太郎。独立運動に命を燃やす (   )ジャワの踊り子」と、これまたセリフが拾えず(スミマセン)。(本来はないはずの)ホントウの最後は、「どん尻のあとに控えしは 扇千景にそっくりの」と日傘を持った扇雀=スカーレットが締めるという寸法。

最後はスカーレットならぬ扇雀を中心にしたタカラヅカレビューばりの華麗なダンスで終わる。おそらくこれ、ぶっつけ本番に近かった?揃っているようないないような、この微妙加減が可笑しい。仁左衛門=冨樫は、この珍場面から早く逃れたくて、「通っても良い」と宣告。

 

外出自粛で家にこもっていて、気が滅入る一方。そんなときにはこれを観て大いに笑い、うさを晴らしてください。