yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

雅子さまを貶める本の著者たち−−「戦犯」似非ジャーナリストたちの卑しさ、アホさ

昨年末に一応何冊か図書館で借り出してきたのだけれど、ざっとスキムしただけでもわかる内容の稚拙さ。「美智子前皇后あげ」が結論づけられている内容。加えて当時の皇太子妃雅子さまを貶める意図が隅々まで充満している。どれも最初から「結論ありき」のもので、客観性を遵守すべきジャーナリストのものとは到底思えない。目が汚れた。気分が悪くなった。だからこの記事も書きたくはなかったのだけれど、やはり、どこかの段階ではっきりとさせておく必要があると考えて、ここに書いている。

でもね、これを読むのは「学者=研究者」としての私の品性を貶めてしまうような、そんな危機感があったんです。明らかに読む価値のないもの。読むのも汚らわしく、結局借りていた本を今年初めに期限切れで返却。でもずっと棘のように意識に突き刺さっていた。やはり書評は書いておくべきだと思い直して、昨日近隣図書館に再び出向いた。借り出し中になっているものもあり、全てを網羅できず、中途半端な「コレクション」になってしまったけど。

まず、対象となる著者に敬称をつけないとお断りしておく。どの輩もそれに値しない。

まず佐藤あさ子の『雅子様と愛子さまはどうなるのか?』(三陽社、2012)。タイトルからして失礼の極み。そんなのアンタの知ったことじゃないでしょ!内容はあくまでも美智子前皇后が執拗に雅子さまをいかにいじめ抜いたかを、美智子サイドに立って解説したもの。その一部始終がわかる点では、評価できるかも。逆視点で見ると、バレバレでしょ。その「頭隠して尻隠さず」の脇の甘さが笑える。この人(「奴」で十分ですが)、例の美智子お茶会の常連だったんでしょうね。あの、おぞましい「夢遊病者」演技をしたのもコイツでないでしょうか。どんな役得があったのか。想像するだけでも吐き気がする。しかも、キコ妃も同様に賞賛していて、どうスガ眼で見たら、こういう結論になるの?という代物。それもかなり微に入り細に行っているので、かなり美智子・キコサイドに近いことが窺える。つまり共犯。ただ、美智子・キコの策略の裏も読めるので、ある意味価値があるのかも。しかし「しょーもない!」。この人、事実の裏をとるという必須条件を学んだの?アンタの結論はすべて憶測の域を出ないでしょ?検証はしたの?やってないのバレバレでしょ!一方の側に立って、対立するもう一方を攻撃するからには、きちんとした裏付けが必須でしょ?一応「ジャーナリスト」らしいけど、「似非」丸出し。

次に高清水有子なる御仁の『美智子様と清子さま 平成の皇室を支えた母娘の愛情物語』(ブックマン社、2009)。これ、タイトルからして、寒気がする。「愛情物語」なんて、あなた、気持ち悪さ全開ですよ。明らかに美智子上げの強烈な意思表示。あの清子さんの現在の体たらくを見る限り、子育てが成功しているとは到底思えない。どんな男性も振り返らない娘を育てるなんて。子育ては大失敗でしょう。押し付けられた黒田さんがただお気の毒と思ってしまう。明らかに美智子前皇后が提供した細かい「エピソード」の数々。ぶっちぎり挿話の寄せ集め、笑えた。これら挿話のどれを集約すれば、「素晴らしい母と娘」になるのでしょう?どう考えても無理あり。このjumping が嗤える。そして吐き気がする。

ただ、どういう経緯でこの人が美智子サークルに入ったのかが明らかになっているのはめっけモノ。キコ妃が秋篠宮と結婚したのがきっかけになったらしい。清子がどれほどよろこんでキコを迎え入れ親しくしていたか。これ、あのお茶会に被りますよね。自分の親になった経験を「ミチコ子育て」に重ねているけれど、くだらない本の著者ほどこの手を使う。アンタの経験なんて、なんの保証にもならないし、興味もないっていうの!

そして渡邉みどりなる美智子べったり(この御仁がそういう人だと、いかに皇室に疎い私でも知っていました)婆さんの著書、『プリンセスの育てかた』(こう書房、2016)。これはまさに噴飯もの。キコ妃が娘のマコを素晴らしい女性に「育て上げた」経緯をエピソード形式で表している。ホント、ズッコケた。現在の眞子さん状況を見れば、キコさんの「子育て」なるものがいかに失敗だったのかは、明らか。それは衆目の一致するところ。失笑ものでしかない。内容はすべて事実の裏付けゼロ。思い込みで書かれたもの。美智子前皇后、キコ妃を「あげあげ」する本だったんでしょうね。目論見は見事に外れていますが。

そうそう、例の矢部万紀子の『美智子さまという奇跡』は貸出中だった。タイトルからして、吐き気がする。この人が以前に書いた記事、それも羽生結弦さんとカコを結びつける記事を読んで、怒りのあまりこのブログ記事にしている。

www.yoshiepen.net

あの崇高な魂レベルの、そして美の権化である羽生結弦選手に失礼極まりない!許せない!

もう一冊、高山文彦の『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』(講談社、2015)。雅子さまが水俣を「訪問」しないことを非難する論調が全編を覆っている。この人、美智子前皇后の実妹の嫁ぎ先が第二水俣と言われている昭和電工だと知らないの?呆れてしまった。とにかく雅子さまを攻撃するなら、なんでも使えということか。これも許せない。この駄本については私自身のgoo blog に昨年4月に記事をあげている。

blog.goo.ne.jp

あと何冊かあるけれど、いずれも同じ路線を踏襲。本を書く上での最低条件を満たしていない。すべて思い込み、客観性ゼロの視点で書かれたもの。クズ(trash)でしかない。いずれ、廃棄されるであろうもの。仮にも「ジャーナリスト」を名乗って本を書くなら、最低、資料の分析とその解釈、その上での結論という道筋を辿るのが常道。それを一切無視した結論ありきの駄文。ただのクズ。図書館もこういうものをコレクションに加えておくとは、図書館としての「格」が疑われる。

ちょっと一言。このブログタイトルに「journal」 とあるので、私がジャーナリストだと誤解される方がおられるようです。「journal」というのは「日記」の意味なんですよ。誤解が解ければうれしいです。少なくともここで言及されている「ジャーナリスト」まで落ちぶれてはいないというプライドはありますので。