プログラムは以下だった。
★対談:林 宗一郎、大槻 裕一 司会・味方 玄
★狂言『鐘の音』
太郎冠者:小笠原 匡、主人:小笠原 弘晃
★能『小袖曽我』
曽我十郎祐成:林 宗一郎曽我五郎時致:大槻 裕一
母:田茂井 廣道
春日局:小笠原 弘晃
笛:杉 信太朗、小鼓:曽和 鼓堂、大鼓:谷口 正壽
地謡:味方 團、橋本 光史、松野 浩行
河村 和貴、河村 和晃、樹後見:味方 玄、河村 浩太郎
なんと、ワキが出ないんですよ。この演目は初見だったので、例によって「銕仙会」の「能楽事典」より概要をお借りする。
鎌倉時代初頭。源頼朝は大勢の家臣たちを率い、富士山麓で狩りの催しを企画していた。その家臣の一人・工藤祐経にかつて父を討たれた曽我祐成(シテ)・時致(ツレ)の兄弟は、この機に乗じて仇を討とうと計画し、暇乞いのため母(ツレ)のもとへ向かう。ところが、かつて寺に預けられていた時致は、言いつけを破って寺を出たため母の怒りに触れ、勘当を受けた過去をもつ。祐成は何とか弟を許して貰おうとするが上手くゆかず、果ては「時致の話題を口に出すなら祐成も勘当する」と言われる始末。意を決した祐成は弟を連れて母の前に進み出ると、この年月の時致の胸中を訴え、狩場へと向かう決意を語り、それを理解してくれぬ母へ恨み言を言う。立ち去ろうとする二人の姿に、ついに勘当を解こうと宣言する母。兄弟は喜びの涙を流しつつ、母とともに門出の酒宴を催して颯爽と舞を舞うと、狩場へ出発してゆくのだった。
能公演の前に対談があり、これがとても興味深かった。味方玄師のお話の持って行き方、引き出し方がお上手で、林宗一郎師、大槻裕一師からそれぞれの『小袖曽我』との出逢いと、それ以後の「付き合い方」等が聴けた。普段は能楽師の方の「素(す)」の思いを伺えることはまずないので、こういう機会がありがたい。「素」といえば、この演目は素顔=直面で演じられる珍しいもの。素顔ということで「(美形の)林宗一郎師のことがまず浮かんだ」と、味方玄師。「このあと、話し難くなりますね」と返す宗一郎師。微笑ましい。
江戸歌舞伎の定番である「曽我もの」。それが能にもあるのに驚いた。もちろんタイトルはなんども耳にしていた。でもそれが「能」として、すっと頭に納まってきていなかったんだろう。アプローチの仕方は歌舞伎とは随分違っていた。歌舞伎だと例の「曽我対面」が代表するように、曽我兄弟と工藤祐経との対決・対面場面がハイライトされる。双方の対比をどう際立たせるかに主眼が置かれているので、良くも悪くも対比がくっきりと描き出され、それを背景(大道具)や役者の衣装が鮮やかに彩る華麗な舞台という形になる。バカバカしいくらいの対比。それもひとえに曽我兄弟の仇討ちを正当化するための工夫(theatrical devices)。でもこのバカバカしさそのものがまさに江戸歌舞伎。「悪」の工藤祐経(たいていは座頭が演じる)だって、かっこいいんです。曽我兄弟を栄光化する為に、敵ですらかっこよく提示するというところに、江戸歌舞伎の「こころ」があるんですよね。
能の『小袖曽我』はそれに比べると地味かもしれない。でも若い役者さんたちが演じることで、それも素顔で演じることで、普通の能舞台とは違った華やぎを出させる意図があるのだろう。たしかに素顔でのお二人には、普段の舞台とは違った緊張感が感じられた。お二人の紅揚した面差しには、歌舞伎の隈取化粧とは違ったリアリティがあった。これはおそらくお二人が10代の少年ではないこととも、関係しているように感じた。おそらく、自我がさほど出てこない時分にさらりと演じてしまうのが『小袖曽我』なんだろう。でもお二方ともにすでに第一線の能楽師。その能楽師がこのリアリティとどう「格闘」するかというのも、ひとつの「見せ場」だった?
お二方の緊張感を受け止める「母」役の田茂井廣道師。母だけが面をつけているんですよ。二人の醸し出すリアル感を「母」が吸い込み、収めるという感じがした。若い母、でも二人を受け止め、死出の旅を覚悟でさらりと送り出す。こういうところが、まさに能。
ハイライトは最終のシテ二人の合舞。本番前になんども合わされたとか。微妙にずらして舞われるのも、計算の上なのだろう。『二人静』の連れ舞いを思い出した。『小袖曽我』の方は男舞いなので、凛々しく、雄々しく、それでいて若さが匂い立つように舞わなくてはならない。林宗一郎師がリードする形で舞い納める舞台は、やはりさすがだった。