清々しく、まさに「明月」を表象する九郎右衛門さんのシテ。「鬼畜物」とも呼ばれる五番目物(切能)であるにもかかわらず、清涼感が残ったのは九郎右衛門さんのシテの舞い、謡に負うところが大きい。そしてもちろん、京都観世流の方々の地謡、それにお囃子がそれを支えたのも大きい。すべてがみごとな調和を成していた。加えて、舞台がホールに設営されていたので、照明の工夫が凝らされていたのも良かった。上からのライトが橋掛り上のシテの面を照らしたときの凄絶感は格別だった。
以下に「能.com」からの演目解説をお借りする。
玄翁という高僧が下野国那須野の原(今の栃木県那須郡那須町)を通りかかります。ある石の周囲を飛ぶ鳥が落ちるのを見て、玄翁が不審に思っていると、ひとりの女が現れ、その石は殺生石といって近づく生き物を殺してしまうから近寄ってはいけないと教えます。玄翁の問いに、女は殺生石の由来を語ります。
「昔、鳥羽の院の時代に、玉藻の前という宮廷女官がいた。才色兼備の玉藻の前は鳥羽の院の寵愛を受けたが、狐の化け物であることを陰陽師の安倍泰成に見破られ、正体を現して那須野の原まで逃げたが、ついに討たれてしまう。その魂が残って巨石に取り憑き、殺生石となった」、そう語り終えると女は玉藻の前の亡霊であることを知らせて消えます。玄翁は、石魂を仏道に導いてやろうと法事を執り行います。すると石が割れて、野干(やかん)(狐のこと)の精霊が姿を現します。野干の精霊は、「天竺(インド)、唐(中国)、日本をまたにかけて、世に乱れをもたらしてきたが、安倍泰成に調伏され、那須野の原に逃げてきたところを、三浦の介(みうらのすけ)、上総の介(かずさのずけ)の二人が指揮する狩人たちに追われ、ついに射伏せられて那須野の原の露と消えた。以来、殺生石となって人を殺して何年も過ごしてきた」と、これまでを振り返ります。そして今、有難い仏法を授けられたからには、もはや悪事はいたしませんと、固い約束を結んだ石となって、鬼神、すなわち野干の精霊は消えていきます。
「プレトーク」なる解説が開演15分前から付いていて、それによると、 「白頭」という小書が付く場合、舞台の上に巨石(殺生石)は置かれないとのこと。ただ、この日の場合は異例で、舞台に大きな石の置物が設置されていた。後場で、その石が横脇から左右に割れて、中から白い葛をつけた野干が飛び出るという趣向。
前場では玉藻の前と呼ばれた美しい女性。それが後場では恐ろしい面をつけた野干=妖獣に化けるという、そのギャップに驚かされる。九郎右衛門さんの動きは獣の如く激しいものではあったけれど、どこか玉藻の前を忍ばせる気品があった。あえていうなら、「はんなり感」。それを強調するための白い頭だったのかもしれない。赤い頭だと、いかにも獣然となるから。加えて、上からのスポットライトがくっきりとその頭を照らし出すとなれば、真っ赤な頭はあまりにも強烈。だからあえて白い頭にされた?これだと、この野干が元は美しい女官だったことが、観客にダイレクトに伝わる。
とにかくヴィジュアル面の工夫に満ちた舞台だった。普通の能舞台では「叶わない」近代劇場だからこそ可能な華麗な照明。それが特に際立っていた。以前に見た新作能の『冥界行』でも場所が普通の劇場だったので、同様の照明の新しさに驚かされたけれど、今回も同じ感慨を持った。
舞台設営もかなり斬新。現代式(西洋造)の劇場に能をかける場合、その制約がむしろ新しい工夫を(必然的に)もたらすのかもしれない。モダナイズされた場で演じるとなると、演者たちの気持ちも、心構えも当然のことながら能楽堂で演じるときとは異なってくるはず。それを逆手にとって、能楽堂ではできなかった演出を試してみる機会にすることができる?
橋掛りがまっすぐ直線ではなく、ちょっと折れた形になっていたのだけれど、これも面白かった。折れているところで、ちょっと間ができる。それが例えば幕奥(袖)から登場するワキの動きに微妙な中断をもたらしていて、感興があった。どういったらいいのか、能楽堂での「約束事」が有効でなかったことが「出来事」として立ち上がって来ていた。それを観客が目撃し、共有した。これはとても貴重な体験だった。おそらくシテの九郎右衛門さんもちょっと「難儀」された?もちろん、こういう異例のしつらえにも無頓着にみえるほどパーフェクトに舞われた。でもね、彼も「意識して」おられるんじゃないかとわれわれが「想像」することで、そこに普段の能楽堂ではありえない「間」が生じる。これがとても新鮮だった。
能楽堂では客席は舞台を囲む形になっている。それが、近代の劇場では真っ正面に観客席がずっと奥まで広がる。公民館系の劇場の造りはほぼこの形。しかも客席はひな壇のように角度のある傾斜を描いて奥に続く。ひな壇の最下の舞台。そこで舞わなければならないという困難な状況下。その困難を組み伏せて、客席とのイントラアクティブな交流を実現させておられたのは、ただただあっぱれ。