yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

復曲能「星」in 「観世小次郎信光没後500年記念&大槻能楽堂80周年記念特別公演@大槻能楽堂2月4日

二週間経っての記事のアップ。いささかの罪悪感。信光について全く知らなかったので、勉強になった。天野氏と村上氏との「対話」(レクチャー)で明らかになったのは、村上氏が「星」を復曲されたということ。どんな曲になっているのか、期待に胸が膨らんだ。以下がこの日演者一覧。

童子、実は本名星の精 大槻裕一
軍神 大槻文藏
高祖 福王茂十郎
項羽 森常好
韓信 福王和幸
紀信 福王知登
軍神の眷属 長山耕三
軍神の眷属 齊藤信輔
漢軍の兵 今村哲朗、上野朝彦、笠田祐樹、浦田親良、寺澤拓海
楚軍の兵 井戸良祐、上野雄介、山田薫、上田顕祟、山本麗晃
高祖の下人 善竹隆平

藤田六郎兵衛(笛)
清水皓祐(小鼓)
山本哲也(大鼓)
前川光範(太鼓)

後見 赤松禎友、竹富康之
地謡 上田拓司、浦田保親、吉井基晴、寺澤幸祐、味方團、林本大、水田雄晤、竹富晶太朗

毎日新聞(ネット版)に載った評は以下。

華やかで劇的に展開する能を生んだ室町中・後期の優れた能作者、観世小次郎信光の没後500年を記念する特別公演が2月4日、大阪・大槻能楽堂で行われる。同能楽堂の80周年記念でもあり、信光作とされてきた「星」を復曲し、現代によみがえらせる。
 信光は1516年没と考えられている。大がかりでスペクタクル性に満ちたその作品群は「風流(ふりゅう)能」と呼ばれる。代表作に「紅葉狩」「船弁慶」など。
 「星」は廃絶していた曲。中国の「史記」に材をとっており、漢の高祖(劉邦)が自身の本命星(生まれ年にあたる星)を祭り、軍神の加護を得て楚の項羽を破る内容。1452年に「漢高祖」という曲名の上演記録が残る。だが近年の研究で、従来1435年とされてきた信光の生年が、その15年後だと指摘され、無条件に信光作だとは特定できなくなった。
 だが「星」の作風は非常に信光的。復曲にあたり校訂を担当した天野文雄・京都造形芸大教授は「『星』は、上演記録に残る『漢高祖』とは別曲か改作と考えられ、やはり信光作とみてよいだろう」と話す。演出は村上湛・明星大教授。節付・監修はシテ方観世流の人間国宝、大槻文蔵。
 前シテの童子・実は本命星の精に大槻裕一、後シテの軍神・破軍星の精に文蔵。また高祖にワキ方福王流の福王茂十郎、項羽にワキ方下掛(しもがかり)宝生流の森常好。ワキ方二流が並ぶのは非常に珍しい。

この日いただいた「解説」に載っていた全体の筋が以下。

本曲は高祖の本命星が高祖に助力した結果、秦に代わって漢の世になったことを描くが、『太平記』、『神皇正統記』によれば、わが国では天皇の本命星が国家鎮護の神として比叡山東塔の総持院に祀られていた。それをふまえるなら、作者には本命星の加護による高祖の勝利をとおして、わが国の安泰を祈念する意図があったと思われる。

曲が始まった当初違和感があったのだけど、逆に能でここまでやれるのかと感心もした。三代目猿之助の「スーパー歌舞伎」が出てきたときも、人はそういう反応をしたのかもしれない。

能にも近年実験的な試みがなされているようだけど、脚本、演出を担当した村上氏によると、「あくまでも能舞台の三間四方に「収まる」ようにしたとのこと。全体に枠をはめたということだろう。宙乗り的な実験はなかったものの、スペクタル性では負けない演出の工夫があった。普段の静謐な能舞台の空間が、戦場を模したものに変わっている。ワキが福王流と宝生流の混合体。兵士として兵士だけでも11人!しかも彼らが舞台で太刀を持って「戦う」様を繰り広げる。躍動感に満ちていた。

背景とスケールの大きさで近松の『国性爺合戦』を思い出させた。時代はこちらの観世小次郎信光の「星」の方がずっと古いけど。演劇が一つの形として定型化して行く際、保守しようとする動きとそれを破ろうとする動きが拮抗することがあるのかもしれない。