以下に演者一覧を。
芸者 時蔵
鳶頭 国生改め橋之助
鳶頭 宗生改め福之助
鳶頭 宜生改め歌之助
芸者 芝喜松改め梅花
芸者 孝太郎
舞踊「俄獅子」がどういう由来、背景を持つのか、「【日本舞踊】演目辞典」に親切な解説が載っている。それを引用させていただく。
吉原には、八月一日から晴天三十日間、芸者・幇間[ほうかん]が、仮装をして凝った踊りの新曲を見せた年中行事がありました。 それを吉原俄[よしわらにわか]と呼びました。吉原俄は、別に、踊俄とか俄踊りとも呼びました。
この俄獅子は、この年中行事の催しと獅子舞を組み合わせて舞踊化したものです。この年中行事吉原俄に廓情緒、獅子の狂いを組み合わせたところは、粋と洒落っ気を好んだ江戸っ子気質をよく表している、 と言われています。
吉原仲の町の雰囲気・獅子舞・手古舞の踊りなどを見せる『俄獅子』は、普通芸者姿で踊りますが、素踊りとして踊る場合も多くあります。
江戸っ子気質である粋と洒落っ気に、吉原の廓情緒として『吉原俄』の雰囲気を、演者がいかに表現できるか、というところが、 この演目の見どころとなります。
江戸の粋が舞台いっぱいに広がる。それもそのはず、「吉原俄に廓情緒、獅子の狂い」が組み合わせれて披露されているんですから。単に華やかなだけでなく、洒落っ気が加味されている。上方とは違った趣向で楽しませるということ?それを上方メッカ、京都の、それも顔見世にあえて持ってくるとは、なかなかの「勇気」ですよ。挑戦でもあるだろう。
この挑戦、大成功。時蔵の江戸前芸者の色っぽいこと、艶やかなこと。こういう役どころは、それも舞踊では、時蔵に敵う人はいないだろう。完璧。ため息が出る。「萬屋」の掛け声も半端なかった。孝太郎はそのツレ方をちょっと遠慮がちに演じていて、好感を持った。彼の地盤である上方、そこで時蔵に「華」を持たせていた。それにしても二人の連れ舞いの完成度が高いのに圧倒された。
そして、何よりも私が「感動」したのは、新橋之助の踊りが良かったこと。実はそんなに期待していなかった。それを裏切ってくれた。随分と稽古を積んだことは明らか。稽古の量と質の高さが如実にこの舞踊に表れていた。感動してしまった。若い人の伸びる力の大きさを思った。従兄弟の児太郎はメキメキと力をつけているんですものね。それに今の20歳代の歌舞伎役者のレベルの高さと層の厚さ!ちょっと出遅れている感があった国生。それがここまでの挽回。彼の世界を築きあげつつあるのが、直球でわかった。すごいです。感服です。このまま伸びて行けば、お父上を超えるかもしれない。そうなって欲しい。可能性を確信した舞台だった。