yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

羽生結弦選手 SP@スケートカナダ2016(グランプリシリーズ・カナダ大会)

SPは昨夜放映されたテレビ朝日で視聴した。羽生選手の曲はプリンスの「Let’s
Go Crazy」。パトリック・チャン選手の後に画面に登場した羽生選手。ちょっと緊張過剰の感じ。こちらも胃がシュリンクする。滑り始めて不安が的中。苦しい。解説の織田さんも少し怯んでいるよう。完璧に立て直すまでに演技終了。あっけない。羽生選手自身も映像で見る限り、満足していなさそう。でも落ち込んでる様子ではなく、彼のトレードマークの(?)静かな闘志は感じられた。

後でこの曲をyoutubeとネットに掲載されていた歌詞を照らし合わせて見た。振付師のジェフリー・バトルの選曲らしい。バトルの振り付けは「パリの散歩道」が素晴らしかったので納得なんだけど、この曲については「?」だった。でも羽生選手のあくなき挑戦する強い意思は感じられた。彼にとってはこの曲はきっと組み伏せるべき相手なんだろう。ステップも今まで以上にアップテンポなもの。そこに技巧の極みを組み込む。難しい4回転ジャンプやら3回転ジャンプがずっと続く構成。常時緩急の「急」の部が続く。「緩」をあえて入れないような組み方にしてあるのが、桁外れの挑戦に映った。

プリンスの曲のみならずその生き様を彼は個人的に好きなのかもしれない。それにあの悲劇的な死ですものね。その生き様をそのまま表象するようなラディカルな歌詞に惹かれた?音楽のミューズに愛されたというより、打ちのめされた(smashed)っていう感じのプリンス。羽生選手はあえてこれを「悪魔祓い」的なセンスで選んだ?先シーズンからの怪我という不運。これを祓いたいという意味を込めて選んだのかも。読み込み過ぎかもしれないですけどね。

プリンスのこの曲を選んだところに、羽生選手の哲学的な面が窺える。この曲のリリックスは「人生」の意味を探るっていうより、どちらかというと「死」の必然をどう乗り超えるかということをうたっている。死神を組み伏せようとか乗り超えようとするのは無理な相談。だから、「散々あがけ」と唱えているわけで、ここにユーモアが感じられる。

そう思って彼の衣装を見ると何か納得できた。私としてはあまりこれは好きではない(ファンの方、ごめんなさい)。白い上下はいかにも結弦さんの浄らかさを表していて素敵なんだけど、あのベストが!でも曲リリックスを読んで、彼が司祭を模しているのかもと思えた。あのベストはそれらしいもの。しかもあの立ち襟。あれっていかにも司祭風。司祭なら黒だけど、それをあえて茶っぽい模様にした?何れにしてもなにかダークな感じがする。羽生選手を表す色はブルー、グリーンといった爽やかなもの。ベストにそのような色を入れなかったのは、逆に「確信犯?」と思えた。

ただ、何がしかの違和感が残る。彼自身もそうだったのでは。でもその違和感をも手懐け、自身の中に組み入れ、自身の表現のなくてなはならない必然として提出すること。それが、彼がこのカナダ大会までに自身に課した課題だったような気がした。

先ほどyoutubeに早速アップされていたフリーの演技を見た。今日は放映時間に帰ってこれないので、仕方ない。この演技はもう満足度200点満点の素晴らしい、彼らしい演技。感動!それについては別稿にしたい。