yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

平幹二朗さんの訃報

今月の8日に彼が主演の『クレシダ』をサンケイ・ブリーゼで見たところだったので、ショックが大きい。未だに信じられない。カーテンコールが数回ある舞台、拍手が鳴り止まなかった。その都度、舞台に再登場されてお辞儀をされた平さん。ちょっとはにかんだ様子が忘れられない。

彼の舞台の観劇はこれが最初で最後になった。蜷川演出のシェイクスピア劇の舞台を見ておけばよかったと、『クレシダ』を見た折に悔やんだけれど、蜷川が逝き、今度は平さんが逝ってしまったので、永遠に叶わない夢になった。三島由紀夫の『近代能楽集』や『鹿鳴館』も見逃してしまっている。もっとも上演された当時は、生意気にも蜷川演出に疑問をもっていたので、どのみち見なかっただろうけど。

ギリシア劇、『王女メディア』、『アンティゴネー』も見ておけばよかった。Wikiサイトをのぞいて見て、彼が実験的な演劇(運動)に意欲的に参画していたことに今さらながらに深い感慨を持つ。あの『クレシダ』はそういう彼の経歴があって初めて可能だった舞台だったのだろう。彼が演じた老演出家のシャンクには彼自身の経験と思いが百パーセント詰まっていた。だからあんなにも、こちらの胸に響いたのだろう。本当に残念。口惜しい。

お一人で暮らされていたとか。ご子息の平岳大さんが「発見」されたという。岳大さんとは彼がアメリカのロードアイランド州プロビデンスにあるモーゼスブラウン高校のジュニアだった時に、何回か会ったことがある。私がブラウン大学の比較文学科に在外研究で1年間滞在していた折のこと。彼は日本人会の会長のYさん宅にホームステイしておられた。Yさん宅でも出くわしたし、彼女がブラウン大の教員食堂のランチに彼を連れてこられた時には、そこでご飯を一緒したりもしたっけ。物理の教科書、化学の教科書と「格闘」しているとおっしゃっていた。お母様が彼をブラウン大の医学部に入学させたいという希望を持っておられるとかだった。その後お母様の希望通りブラウンの医学部に入られたけど、結局は俳優の道を選ばれたんですね。その頃から6フィートを超える白皙の美少年(?)だったので、「やっぱり!」と思ったものである。とても「いい子」だったのが記憶に新しい。お父様に似ておられたけど、人格的にも才能面でもきっと似ておられるんだろう。活躍しておられようで嬉しい。また、お父様もきっと彼を誇りに思っておられるに違いない。