yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『刺青奇偶』劇団花吹雪@新開地劇場9月20日夜の部

この日、神戸は台風の暴風圏内に入っていたけど、昼の部、夜の部で大入りが出た。お芝居目当てできた人が多かったということだろう。

劇団花吹雪の『刺青奇偶』は初めて。期待通りに素晴らしかった。歌舞伎のものに最も近かった。しんみりと悲しい。玉三郎のお仲、勘三郎の半太郎の姿が重なった。口上の折に京之介さんがおっしゃっておられたことからも分かったけど、随分とシネマ歌舞伎のものを研究されたに違いない。連日の大作、それをあえて張るという、その心意気に打たれる。

半太郎の腕に針で骰子を彫り込むときのお仲のあの絞り出すようなセリフ、「後生一生のお願い」。そこに込められた深い愛情に泣かずにはおれない。ぽろぽろ涙が出て、困った。舞台の二人も泣いておられた。舞台と客席が一つになったのが分かった。博打がやめられない男。そのダメ男を愛してしまった女。自身の死期を悟り、それを母のような愛でもって諌める。こういう夫婦関係はやっぱり日本人のものだなと思う。

そんな慈愛に満ちた、観音菩薩のような女(母)にダメ男を配したのは、長谷川伸が長谷川伸たる所以である。人は良いのだけどいつまでたっても「大人」になれない男。そんな男が何かのきっかけで大人にならされる、そんな筋書きが長谷川伸の作品には多い。前にも書いたのだけど、この作品では「母」がお仲、「父」が政五郎である。この二人によって、半太郎はようやく、大人の階段を一歩昇った。でもやっぱり彼は「母」の側に立ちつづけるのだろう。最後の花道での「お仲、待ってろよー!」にそれがよく出ている。

慈愛に満ちたお仲の心情が痛いほどにわかる名演技。京之介さんも「大人」になられたんですね。春之丞 さんの半太郎もどこかに子供っぽさを遺しつつも、外見は気っ風の良い男を演じて、説得力があった。この矛盾を抱えた男が主人公ということの多い長谷川伸作品。春之丞 ご自身はの像と重なっているような、そんな気がしてしまった。このお二人(従兄弟同士)での半太郎、お仲は一緒に座っているだけで、仲の良さ、情愛の深さがこちらに伝わってくる感じがする。悲劇なのに、どこかホッとするのはそれがあるからかもしれない。ズシンと心に響く名演技だった。

それと、熊を演じた愛之介さん、こんな悪役でもやっぱり光っておられた。弱虫のくせに「虎の威をかる狐」のような男を演じて秀逸。ドスの効いた声がすぐには愛之介さんとわからなかったほど。冒頭の半太郎との絡みも良かったし、後の場で長屋仲間のカミさん役も良かった。

これだけ粒ぞろいの役者と、その名演技、また見たいと思った。