yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

テレビドラマ『半七捕物帳』——宮地芝居と歌舞伎と——

BSジャパンで放映されていた菊五郎主演の『半七捕物帳』が終わってしまった。4本程度しか見ていないので、とうとうamazonで入手。もちろん中古品。1979年4月から9月まで放映された全26話。非常に優れた作品。時代劇でシリーズになったものといえば吉右衛門の「鬼平」シリーズを7シリーズ揃えていたのだけど、2ヶ月前の「断捨離」決行で全て中古市場に出し、今は手元にない。時代劇にはほとんど興味がなかったのだけど、「鬼平」には唸った。「鬼平」は、劇作家でもある池波正太郎の原作自体がドラマとしてとてもよく出来ていたことに加え、映像担当者が当時のトップを走る人たちだったことで、完成度が高い作品群だった。

でも「鬼平」に遡ること10年、この『半七捕物帳』が映像化されていたとは。原作をテレビドラマ脚本にするときの処理の的確さ、演出の丁寧さ(数人の監督が担当)、カメラワークの斬新さ。これらはそっくりそのまま、「鬼平」に引き継がれていた。「鬼平」担当者が「半七」を参考にしたのではないかと、勝手に想像している。いわゆる「時代劇」の枠を超えた作品群になっていた点で。

半七シリーズ、全26話を見た。監督が各話で異なっているが、どれもよくできた作品。甲乙つけがたい。でもその中で、興味を惹かれたのが第7話の「唐人飴」。宮(地)芝居が出てくるから。「半七」シリーズには随所随所に当時の芝居、役者等の情報が出てくる。歌舞伎はもちろんだけど、もっと庶民に浸透していた(であろう)宮地芝居も頻繁に登場。この宮地芝居が大衆演劇、旅芝居の原型。にわか仕立てのいわゆる掛け小屋に、歌舞伎もどきの芝居をかける。もちろん大歌舞伎のような立派な小屋ではないので、造作も粗末、収容人数も限られている。その分木戸銭が安い。庶民が芝居に親しむのには絶好の場所だった。

そしてこの「唐人飴」。脚本は笠原和夫、監督は安田公義。早速Wikiを参照。安田公義(1911-1983)は大映に所属。大映では「眠狂四郎」、「座頭市」シリーズを手掛けている。その他、手掛けた作品がすごい

笠原和夫(1927-2002)の方は東映所属。1981年(昭和56年) に『二百三高地』で日本アカデミー賞の優秀脚本賞を受賞。1983年(昭和58年)には『大日本帝国』で日本アカデミー賞の優秀脚本賞を受賞。1976年に退社した後はフリーの脚本家として活躍。この二人が手掛けた「唐人飴」が図抜けて斬新なのも、納得。二人ともに1979年の撮影時にはすでに中高年。それがここまでの作品を残しているのに感動。全盛期の東映、大映がいかに素晴らしい作品をこれらの人たちのもとで生み出していたのかが、よくわかる。彼らはまた、歌舞伎、宮地芝居などの知識も豊富だった。歌舞伎役者が張り合って行けるだけの知見を持っていた。これが作品に奥行きを与えている。菊五郎であれ、幸四郎であれ、坂東三津五郎であれ、だからこそ喜んでこの「半七組」に参加したのだろう。

ここで進めなくなるほど、心が動かされた。彼らが活躍したのは映画の全盛期。今の映画界を思いあわせると、感慨深い。