yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

シネマ歌舞伎『阿弖流為』@大阪シティステーションシネマ6月27日

昨年7月に新橋演舞場で観て感激した舞台。あまりに良かったので、その翌日に急遽チケットを取って再観劇した。運よく上手花道寄り一等席が取れた。すぐ目の前を染五郎、七之助が疾走。モロに彼らの汗が飛んできた。そのあと松竹座にかかった折にもう一度見たいと思いチケットを取ったのだけど、それは人にあげてしまったので、今回が三度目の『阿弖流為』。去年の新橋演舞場での録画。

少し前に見た串田和美演出の『三人吉三』はシネマ化する際、映像部分を組み込むなど随分と手を加えてあったので、今回もどうかと思っていたのだけど、これは新橋の舞台そのままだった。ただクローズアップが頻繁に使われているので、すぐそばで見ているような臨場感があった。まだご覧になっておられない方がおられたら、強くお薦めします。

松竹も一方ならない力の入れ方で、宣伝も万全である。以下、松竹サイトからの紹介。

2015年7月、新橋演舞場で上演され、連日客席を興奮と感動の渦に巻き込んだ、歌舞伎NEXT『阿弖流為』をシネマ歌舞伎第24弾作品として公開

歌舞伎は400年の歴史の中で時代時代の最先端の流行を吸収し常に革新してきました。劇団☆新感線で数々の傑作を世に送ってきた いのうえひでのりと中島かずきが、満を持して初めて歌舞伎に挑んだ歌舞伎NEXT「阿弖流為」は、心揺さぶる壮大なドラマや勢い溢れるアクションと共に、連綿と受け継がれてきた歌舞伎の様式美が染五郎をはじめとする歌舞伎俳優によって体現され、かつてない新感覚のエンターテインメントとなりました。演劇の可能性を広げた新たな歌舞伎誕生の瞬間を、躍動感溢れる映像美で目撃してください。

朝廷に抗い続ける蝦夷(えみし)の長 阿弖流為(アテルイ)は 悪か、それとも民を護る正義か

古き時代。北の民 蝦夷は国家統一を目論む大和朝廷に攻め込まれていた。そこに、かつて一族の神に背き追放された阿弖流為が、運命の再会を果たした恋人 立烏帽子(たてえぼし)と共に戻り、蝦夷を率いて立ち上がる。一方、朝廷は征夷大将軍に、若くとも人望の厚い坂上田村麻呂を据え、戦火は更に激化していく。戦いの中で、民を想うお互いの義を認め合いながらも、ついに2人が決着をつける時が迫り来ようとしていた。

このブログ記事にもしているので、リンクしておく。私の評はあらかたここに述べてある。でも改めて染五郎、勘九郎、七之助のパワーの凄まじさに感服した。あれだけの声を張り上げているのに、この三人に声のかすれはなかった。また、新感線のいのうえひでのり演出らしく、運動量が半端ないところ、彼らは疲れを見せずに全力投球していた。それにも感動。舞台に充満するエネルギーに否応なく観客は巻き込まれる。私が見た折もそうだったけど、満員の客席。

「シネマ歌舞伎」ならではの、映像化された舞台と自分の関係を考えさせられてしまった。その場にいて舞台を観ている時は「自分 vs. 舞台の演者たち」という関係がすべてだけれど、シネマ版になると「観客vs.舞台」を必然的に一つの出来事としてみることになる。するとその場で舞台を観ているときにはなかった別の感慨が沸いてくる。舞台に同化しつつ熱中してみている自身を、一つの風景としてみるから。「ああ、この場面ではおもわず拍手したな」とか、「ここでちょっと引いてしまったな」とか、そのときのダイレクトな自分の反応をカッコに括るというか、そんなことを思わずやってしまっている。これも面白かった。舞台をすでに見ていて、シネマ版をまた見にきたという人もいるだろうけど、その人たちはどんな感慨を持つのだろう。